昨日の続きです。
ヨールッパには、日本のように1分以上の遅れは、すべて「遅れ」と数える定時運転率の数字は、ありません。
世界をさらに広く見渡せば、遅れのエピソードには、事欠きません。
ニューヨークのグランドセントラル駅では、次の列車の到着時刻を「何時何分」と表示するのではなく、「Will be」すなわち「そのうちやってくる」と表示しています。
特に途上国では、1時間送れで着くのは良い方で、3時間や4時間はたまた翌日になる場合もあります。
「今日は、珍しく時刻通りに発車したな」と思ったら、それは前日の同じ時刻に発車するはずの列車だったという、嘘のような本当の話もあります。
つまり、世界には、鉄道は「1分違わず」正確に運行して当たり前と思われている社会と「10分や15分」の遅れなら、まあ当たり前と思われている社会と「1時間や2時間」の遅れも当たり前と思わなくてはならない社会もあるのです。
これは、その社会(文化)の違いや住民の環境、鉄道の利用価値感の違いが大きく左右しています。
今日の絵は「稲荷境内」です。F10号
ヨールッパには、日本のように1分以上の遅れは、すべて「遅れ」と数える定時運転率の数字は、ありません。
世界をさらに広く見渡せば、遅れのエピソードには、事欠きません。
ニューヨークのグランドセントラル駅では、次の列車の到着時刻を「何時何分」と表示するのではなく、「Will be」すなわち「そのうちやってくる」と表示しています。
特に途上国では、1時間送れで着くのは良い方で、3時間や4時間はたまた翌日になる場合もあります。
「今日は、珍しく時刻通りに発車したな」と思ったら、それは前日の同じ時刻に発車するはずの列車だったという、嘘のような本当の話もあります。
つまり、世界には、鉄道は「1分違わず」正確に運行して当たり前と思われている社会と「10分や15分」の遅れなら、まあ当たり前と思われている社会と「1時間や2時間」の遅れも当たり前と思わなくてはならない社会もあるのです。
これは、その社会(文化)の違いや住民の環境、鉄道の利用価値感の違いが大きく左右しています。
今日の絵は「稲荷境内」です。F10号