先日の続きです。
日本が、なぜ世界に類を見ない鉄道の定刻発着の正確さを追求してきたのかは、その社会、文化、環境等が影響していることを、前回に述べました。
これを述べるのには、徳川幕府の時代に遡らなくては成りません。
日本の地形は、平野部が少なく、山あり、谷あり、川ありで複雑になっており、幕府は、これを天然の要塞として、要所の川には、橋を架けずに徒歩が交通の基本でした。
宿場は、1日の歩ける距離に設置され、日本の都市は人が歩ける間隔で発展して来ました。
明治になり、この交通手段として現われたのが鉄道でした。
日本の場合、徒歩の時代から一気に鉄道の時代に移行して飛躍的な発展をしますが、ヨーロッパ諸国における馬車による流通の時代がありませんでした。
ここが、1つ目の相違点です。
つまり新橋~横浜間でも徒歩や駕籠で1日かかったのが、わずか1時間で結ばれた事が、驚きと好奇心を日本人の心を掴みました。
それでは、なぜこの鉄道に明治政府を揚げての発達につながったのかは、次回に載せます。
今日の写真は、靖国神社に展示してある機関車です。
この機関車は、昭和11年に製造され、戦時中にタイへ移り泰緬鉄道として活躍したC56型31号機関車で、昭和54年にタイ国有鉄道から奉納されたものです。
日本が、なぜ世界に類を見ない鉄道の定刻発着の正確さを追求してきたのかは、その社会、文化、環境等が影響していることを、前回に述べました。
これを述べるのには、徳川幕府の時代に遡らなくては成りません。
日本の地形は、平野部が少なく、山あり、谷あり、川ありで複雑になっており、幕府は、これを天然の要塞として、要所の川には、橋を架けずに徒歩が交通の基本でした。
宿場は、1日の歩ける距離に設置され、日本の都市は人が歩ける間隔で発展して来ました。
明治になり、この交通手段として現われたのが鉄道でした。
日本の場合、徒歩の時代から一気に鉄道の時代に移行して飛躍的な発展をしますが、ヨーロッパ諸国における馬車による流通の時代がありませんでした。
ここが、1つ目の相違点です。
つまり新橋~横浜間でも徒歩や駕籠で1日かかったのが、わずか1時間で結ばれた事が、驚きと好奇心を日本人の心を掴みました。
それでは、なぜこの鉄道に明治政府を揚げての発達につながったのかは、次回に載せます。
今日の写真は、靖国神社に展示してある機関車です。
この機関車は、昭和11年に製造され、戦時中にタイへ移り泰緬鉄道として活躍したC56型31号機関車で、昭和54年にタイ国有鉄道から奉納されたものです。