中世の十字軍に始まり、現代までキリスト教とイスラム教の争いは絶えません。
どちらも一神教で、自分たちの信仰する神以外は認めないところから、ぶつかっていると考えられていますが、実はイスラム教の神は「アッラー」、キリスト教とユダヤ教の神は、「エホバ」ですが「アッラー」は本来、ユダヤ教とキリスト教の神と同じ神なのです。
では、なぜ争うのでしょうか?
つまり、信じ方が違うのです。
「アッラー」は全知全能にして、天地万物の創造主で、何らかの人格があります。
ここまでは同じなのですが、イエス・キリストが「神の子」であるとするのが、イスラムからすれば間違っていることになるのです。
しかし、キリスト教徒も、イスラム教を認めていません。
キリスト教としては、あとから出てきたイスラム教が、イエスを「神の子ではない」と言ったのが気に入らなかったのですが、瞬く間にアラビア半島諸国に広がり、さらに勢力を拡大してゆくのが脅威に感じ、この勢力争いが今日までつづく確執の核心なのです。
特に「イスラム原理主義」が生まれてから益々、両者の争いは絶まないのです。
そもそも、原理主義というのは、現代になって生まれたもので、キリスト教の一派であるファンダメンタリズムを指す言葉で聖書の教えをすべて真実と考える厳格なクリスチャンを指したものなのです。
これにならってイスラム教徒のなかでも、イスラム教を厳格に守ろうとする人々のことを「イスラム原理主義者」と呼ぶようになったのです。
第2次世界戦争後、イスラム圏では貧富の差が大きくなり、社会矛盾が拡大していき、イスラムの教えから外れた社会を正そうとした動きが顕在化してきたのです。
その最初の爆発が「イラン革命」で、革命前のパーレビ国王は親米的であったのをこれに反対して国外追放されたホメニイ師が革命を起こし、国王を国外追放したのです。
このホメニイ師の成功に影響されて、イスラム原理主義の一部は、さらに過激な思想に走り、テロによってイスラム政権を樹立しようという動きが生まれてきたのです。
原理主義=過激派と思われがちですが、本来のイスラム原理主義運動は、暴力と無縁のイスラム社会内部での自浄を求める運動なのですが・・・・・・