世の中も母の世話も大変よ 金盞花乗せきみの声消ゆ
■
奥嵯峨夕暮れ 井堂雅夫画 |
先日は遠いところまで、それ又、寒い中をわざわざお越し下さっ
て、有り難う御座いました。雄琴温泉は如何でしたか。子供の頃、
それはまだ戦時中でしたが、体がスベスベして気持ちの良いお
風呂だったことを思い起こしております。金閣寺は京都に戻った
中学校2年生。衣笠学校裏に在りました。焼けた後で池の鯉だ
けでしたが、これ又、懐かしい風景です。お元気に。
先日お邪魔した礼状に対する恩師の九窪晴彦の返状が届いた。金閣
寺に触れたのは葉書の印刷された井堂雅夫の画による。金閣寺放火
事件とは、1950年7月2日未明に、京都市北区金閣寺町にある鹿苑寺
(通称・金閣寺)において発生した放火事件である。幸い人的被害はな
かったが、国宝の舎利殿(金閣)が全焼し、創建者である室町幕府3代
将軍、足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏
教経巻などの文化財6点も灰燼に帰した。この事件を題材にした小説
家は三島由起夫と水上勉がいる。
現在の金閣寺
焼失する前の金閣
■
濃緑の空に踊れし銀鱗の糸に手繰られ吾も釣り人
犬上川の青柳大橋を車で渡っていると、思わず小鮎釣を見入ってしまった。
事故にならなかったのは平日は交通量が少ないから。県立大学と荒神山
周辺はヨーロッパの田園都市を思わせる風情がある。終の棲家にするには
絶好の場所と思うが、そのためには沢山城址周辺の古沢町の東部地区の
開発は最優先課題だと思う。
房江は目を閉じて、若い荒々しい力があの古い工場を片端から
叩き壊してゆく新鮮な響きをきいた。それはもしかすると、彼女
が望んできたお祭りだった。
『絹と明察』/三島由紀夫
ところで、三島由紀夫はこの彦根にも取材に訪れている。昭和29年の近
江絹絲の人権争議を材題にした小説『絹と明察』だ。近江絹糸の従業員ら
は労働組合を結成。5700人がストに賛同、ワンマン社長として知られた夏
川嘉久次がアメリカ外遊中の出来事だった。近江絹糸は資本金10億円、
設備台数50万錘、従業員1万3000人という大会社。自社で経営している近
江高校の学生を工員のようにこき使ったり、深夜専門の“ふくろう労働者”
を使ったりなど労働基準法破りの常習者。解決までに自殺者3人、自殺未
遂者4人、発狂者8人、負傷者400人以上を出す大争議。夏川社長は昭和
30年6月に会長に退いている。
モデルとなった元県会議員の朝倉克巳も面識があるが、『絹と明察』は、日
本的経営の崩壊を暗示しておわる記念碑的な作品。ハイデッガーの「実存」
は、「つまり、実存は、自己から外へと漂い出して、世界へひらかれて現実化
され、そこの根源的時間性と一体化するのである」。「行動はただの行動で、
それを強かに味わい直してたのしむには思想が要った」、その「思想」が、ヘ
ルダーリンの「憧憬」で、『絹と明察』は近江絹絲で起こった一大争議を描き、
そこに三島の思いを同化させ展開させたとされる。
■
『絹と明察』は昭和39年10月に完結し、その翌年から三島が「新潮」で連
載にとりくんだのが『豊饒の海』。三島が總決算に立ち向かうため、作家の
決着として自決するのは昭和45年の45歳。一方では自衛隊に体験入隊
して「楯の会」を結成し、随筆スタイルでは『英霊の声』『太陽と鉄』『文化
防衛論』などを書いたが。三島の「日本及び日本人」と「父と子の問題」の
探求は、この小説で完成し自決の起点となった。彦根は、琵琶湖に接して
いる。小説の駒沢にとっての琵琶湖は「日本的風雅」の本拠地として設定し、
駒沢の破滅を画策する岡野にとっての琵琶湖は、ヘルダーリンの「帰郷」と
いう詩に歌われているような、「西欧的澄明」の象徴に設定した。
遠くひろがる湖面には
帆影に起る喜悦の波
払暁の町はかなたに
今花ひらき明るみかける
ヘルダーリン『帰郷』
昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯所内で総監室を森田必勝ら
楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取り
籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説
をした後、割腹自殺。
何故割腹までに至るのかという疑問-‘乾いたニヒリズム’と日本浪漫主
義(甘美な「いっしょに死のう」という囁き)の絡みの一部は、寺山修司や飯
島愛などの生死と共通し、芹沢俊介の『子殺し』で解けるように思える。
■
百年に一度の大不況だ。首切り、工場閉鎖、倒産の暗いニュースが続く中、
‘英米被れ’の軽薄な知力(横文字の縦変換)が招いた結果であるといって
もしかたがない、前に向かって歩み出すしかないと、仏花の金盞花を車に乗
せ家内が親父の墓のある宗安寺へ走り出す-女性は強しだ。
キンセンカ(金盞花、学名:Calendula officinalis)は、キク科の園芸植物。別
名、カレンデュラ、ポットマリーゴールド。原産地は地中海沿岸。北アメリカ、
中央アメリカ、南ヨーロッパなどで栽培されている。春咲き一年草として扱う
が宿根草タイプは冬を越すので「冬知らず」の名で市場に出回る。花径10cm
ほどでオレンジ色や黄色の花を咲かせる。花容は一重、八重、また中心に
黒のスポットのあるものと多彩。日本では観賞用として花壇などに植えられ
るが、ヨーロッパでは原種はハーブの一つに数えられ、「エディブルフラワー」
(食用花)である。キンセンカの軟膏は火傷からにきびまで幅広い皮膚のトラ
ブルの治療薬になると考えられている。チョウ目の幼虫(ヨトウガ、キシタバ、
ヤガのような)の餌として用いられる。キンセンカが作られたことを示すといわ
れる神話は、、水の妖精クリュティエとアポロの物語であるが、通常この物
語はヒマワリかヘリオトロープを指すとも言われる冬知らず(カレンデュラ:
Calendula) はラテン語で「一年中」という意味でカレンダー(calendar)の語源
だそうだ。花言葉は「悲嘆」(Deep sorrow)。