極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

金盞花と天守の三島由紀夫

2009年01月24日 | 近江歴史回廊


世の中も母の世話も大変よ 金盞花乗せきみの声消ゆ


  奥嵯峨夕暮れ 井堂雅夫画
 

  先日は遠いところまで、それ又、寒い中をわざわざお越し下さっ
  て、有り難う御座いました。雄琴温泉は如何でしたか。子供の頃、
  それはまだ戦時中でしたが、体がスベスベして気持ちの良いお
  風呂だったことを思い起こしております。金閣寺は京都に戻った
  中学校2年生。衣笠学校裏に在りました。焼けた後で池の鯉だ
  けでしたが、これ又、懐かしい風景です。お元気に。

先日お邪魔した礼状に対する恩師の九窪晴彦の返状が届いた。金閣
寺に触れたのは葉書の印刷された井堂雅夫の画による。金閣寺放火
事件とは、1950年7月2日未明に、京都市北区金閣寺町にある鹿苑寺
(通称・金閣寺)において発生した放火事件である。幸い人的被害はな
かったが、国宝の舎利殿(金閣)が全焼し、創建者である室町幕府3代
将軍、足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏
教経巻などの文化財6点も灰燼に帰した。この事件を題材にした小説
家は三島由起夫と水上勉がいる。

 現在の金閣寺

 焼失する前の金閣



 濃緑の空に踊れし銀鱗の糸に手繰られ吾も釣り人

犬上川の青柳大橋を車で渡っていると、思わず小鮎釣を見入ってしまった。
事故にならなかったのは平日は交通量が少ないから。県立大学と荒神山
周辺はヨーロッパの田園都市を思わせる風情がある。終の棲家にするには
絶好の場所と思うが、そのためには沢山城址周辺の古沢町の東部地区の
開発は最優先課題だと思う。


   房江は目を閉じて、若い荒々しい力があの古い工場を片端から
   叩き壊してゆく新鮮な響きをきいた。それはもしかすると、彼女
   が望んできたお祭りだった。                                    
                        『絹と明察』/三島由紀夫

ところで、三島由紀夫はこの彦根にも取材に訪れている。昭和29年の近
江絹絲の人権争議を材題にした小説『絹と明察』だ。近江絹糸の従業員ら
は労働組合を結成。5700人がストに賛同、ワンマン社長として知られた夏
川嘉久次がアメリカ外遊中の出来事だった。近江絹糸は資本金10億円、
設備台数50万錘、従業員1万3000人という大会社。自社で経営している近
江高校の学生を工員のようにこき使ったり、深夜専門の“ふくろう労働者”
を使ったりなど労働基準法破りの常習者。解決までに自殺者3人、自殺未
遂者4人、発狂者8人、負傷者400人以上を出す大争議。夏川社長は昭和
30年6月に会長に退いている。

  彦根城空中撮影

モデルとなった元県会議員の朝倉克巳も面識があるが、『絹と明察』は、日
本的経営の崩壊を暗示しておわる記念碑的な作品。ハイデッガーの「実存」
は、「つまり、実存は、自己から外へと漂い出して、世界へひらかれて現実化
され、そこの根源的時間性と一体化するのである」。「行動はただの行動で、
それを強かに味わい直してたのしむには思想が要った」、その「思想」が、ヘ
ルダーリンの「憧憬」で、『絹と明察』は近江絹絲で起こった一大争議を描き、
そこに三島の思いを同化させ展開させたとされる。




『絹と明察』は昭和39年10月に完結し、その翌年から三島が「新潮」で連
載にとりくんだのが『豊饒の海』。三島が總決算に立ち向かうため、作家の
決着として自決するのは昭和45年の45歳。一方では自衛隊に体験入隊
して「楯の会」を結成し、随筆スタイルでは『英霊の声』『太陽と鉄』『文化
防衛論』などを書いたが。三島の「日本及び日本人」と「父と子の問題」の
探求は、この小説で完成し自決の起点となった。彦根は、琵琶湖に接して
いる。小説の駒沢にとっての琵琶湖は「日本的風雅」の本拠地として設定し、
駒沢の破滅を画策する岡野にとっての琵琶湖は、ヘルダーリンの「帰郷」と
いう詩に歌われているような、「西欧的澄明」の象徴に設定した。

    遠くひろがる湖面には
                             帆影に起る喜悦の波
                             払暁の町はかなたに
                             今花ひらき明るみかける
            
                           ヘルダーリン『帰郷』

昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯所内で総監室を森田必勝ら
楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取り
籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説
をした後、割腹自殺。 

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何故割腹までに至るのかという疑問-‘乾いたニヒリズム’と日本浪漫主
義(甘美な「いっしょに死のう」という囁き)の絡みの一部は、寺山修司や飯
島愛などの生死と共通し、芹沢俊介の『子殺し』で解けるように思える。



百年に一度の大不況だ。首切り、工場閉鎖、倒産の暗いニュースが続く中、
‘英米被れ’の軽薄な知力(横文字の縦変換)が招いた結果であるといって
もしかたがない、前に向かって歩み出すしかないと、仏花の金盞花を車に乗
せ家内が親父の墓のある
宗安寺へ走り出す-女性は強しだ。

キンセンカ(金盞花、学名:Calendula officinalis)は、キク科の園芸植物。別
名、カレンデュラ、ポットマリーゴールド。原産地は地中海沿岸。北アメリカ、
中央アメリカ、南ヨーロッパなどで栽培されている。春咲き一年草として扱う
が宿根草タイプは冬を越すので「冬知らず」の名で市場に出回る。花径
10cm
ほどでオレンジ色や黄色の花を咲かせる。花容は一重、八重、また中心に
黒のスポットのあるものと多彩。日本では観賞用として花壇などに植えられ
るが、ヨーロッパでは原種はハーブの一つに数えられ、「エディブルフラワー」
(食用花)である。キンセンカの軟膏は火傷からにきびまで幅広い皮膚のトラ
ブルの治療薬になると考えられている。チョウ目の幼虫(ヨトウガ、キシタバ、
ヤガのような)の餌として用いられる。キンセンカが作られたことを示すといわ
れる神話は、、
水の妖精クリュティエとアポロの物語であるが、通常この物
語はヒマワリかヘリオトロープを指すとも言われる冬知らず(カレンデュラ:
Calendula) はラテン語で「一年中」という意味でカレンダー(calendar)の語源
だそうだ。花言葉は「悲嘆」(Deep sorrow)。

芹沢俊介著『子殺し』/ISDN4-7571-4192-0




 



 

 

 

コメント (2)
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