A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【盤魔殿アマルガム vol.46】『はじレコ特集』JAPAN/エクソシスト/どろろ/The Beauty/FGTH/No New York/名古屋遠征記

2023年11月12日 01時23分36秒 | 素晴らしき変態音楽


●DJ Athmodeus a.k.a. 持田保


今月の一枚はじレコ編 JAPAN / The Singles (1981)
かつてナンシー関が語ったとされる(根本敬オリジナル説も有)「日本の文化の9割はヤンキーとファンシーでできている」論。しかし80’s日本においてバブリーに花開いた第三の文化現象が存在したことを忘れてはならない。そう、ニューウェーブ・ブームである。その発生と広がりについて詳しく述べる文字数は無いのだが、当時自分が愛読していた宝島を中心に音楽、漫画、お笑い(ビートたけしもニューウェーブと言われていた)、ファッションからニューアカなどの思想方面までがニューウェーブという括りで彩られていた時代が確かに存在してのだ。で、このニューウェーブ、こと音楽に関してはヤンキーとファンシーを融合させたニューロマ現象が個人的に衝撃(マユ毛剃りまくり&ボンタン・スタイルなど)で中学2年のとき初めて自発的に買ったレコがこのジャパンのベスト。パンクでもポストパンクでもない、ジョルジオ・モロダーのシンセベースがウネウネしまくるディスコ・サウンドをバックに田舎の中学生には想像できない日本像を描いた”Life in Tokyo”は自分にとって早すぎたブレードランナーと言えるだろう。その後ニューロマは日本でビジュアル系というヤンキーとファンシーの融合を極限まで加速させたスタイルを構築することとなるが、そこら辺の歴史を社会文化学としてマジで誰かまとめていただきたいと思う今日この頃である。

●DJ Necronomicon a.k.a. 剛田武


マイク・オールドフィールド『エクソシストのテーマ』
童謡で一番好きだったのは「ちいさい秋みつけた」、小学校低学年のころ通学路で歌っていたヒット曲は「学生街の喫茶店」。基本的にマイナー調の曲が好きだった。中学へ上がる直前に短波ラジオにハマって(所謂BCL)海外の短波放送を聴いて洋楽ポップスに興味を持った。まだロックやジャズなどのジャンルがある事を知らず、最初に聴き始めたの映画のテーマ曲だった。特に映画が好きだったわけではなく、身近な海外エンタメが洋画しかなかったからだ。映画雑誌で「エマニエル夫人」の写真を盗み見て性に目覚めた世代である。初レコは「アラン・ドロンのゾロ」だが、2枚目に買ったのが「エクソシストのテーマ」(いや「燃えよドラゴン」のほうが先だったかも)。とにかく怖いと評判の映画で決して観たいとは思わなかった(いまだに観たことはない)が、ひたすら美しく哀しい旋律が繰り返されるうちに、じわじわと恐怖感が募る不思議な音楽にすっかリ魅了された。解説を読んでマイク・オールドフィールドという音楽家がたった一人で作り上げたことを知った。また彼が姉のサリーと一緒にやっていたバンド名がサリアンジーと書いてあり、その名前の美しい響きだけで恋のような憧れを抱いた。シルヴィア・クリステルに続く性の目覚めパート2だった。これがプログレへの目覚めだったとは言い切れないが、50年近く経っても筆者の妄想を刺激するヤバい音楽との記念すべき出会いだったことは間違いない。おっと、忘れかけていたが文字で読む性の目覚めはギョーム・アポリネールの小説『若きドン・ジュアンの冒険』だったことを今思い出した。また読んでみたい。

●DJ Vaby a.k.a. 大場弘規


「これが私のリアル初レコ!」 藤田 淑子 / どろろのうた (7inch)
幼稚園時代、リアルタイムでテレビアニメを観ていたのですが、藤田淑子さんの歌う美しくもあり、何とも言えない狂気を孕んだ「どろろのうた」が僕の心に深く突き刺ささってしまったのです。そんな時に、武蔵境の今は亡き西友のワゴンセールで見つけ母親に(かなり)駄々こねて買ってもらった人生初のレコードがコレなんです!ナントあの巨匠「冨田勲」が作曲し藤田淑子さん(実はムーミンの主題歌も歌っています)の澄み切った声で歌われるこの曲。特に「赤い夕陽に~」のメロディ・ラインと荘厳なアレンジは今聴いてもゾクッとしますし、YouTubeでイマドキの女の子達が「うたってみた」で取り上げるのも十分頷ける程の名曲だと思います。残念ながら藤田淑子さんは2018年に逝去されていますが、名曲として後世に語り伝えられていくと僕は信じて疑いません。


●DJ Ipetam a.k.a. Rie Fukuda


初めてのレコード
初めて自分のお小遣いで購入したレコードは、アレだ。
しかしそれではお話にならないのと、DJとして難し過ぎるので、時を少し先に進めたい。
私は神奈川で生まれ育ったが、ひょんな事から東京の私立高校へ進んだ。絵を描いたりデザインをする授業が多く、しかし何故か卒業生には芸能人が多い。そこで、楽しい東京の遊び場を色々と教えて貰った。古いモールのある下北沢にも行ったし、新宿でおしゃれな友達と映画を観た。制服を駅のトイレで着替えてディスコに行った。そして、海外から来た音楽の数々に触れた。
気まぐれな年頃(私だけ?)だからか、短期期仲良く遊んで、クラス替えで離れたりもあったが、ある時好きなものが共通した友人と渋谷へ遊びに行った。まだ宇田川町にあったタワーレコードでお小遣いで輸入盤を買って、安価なアクセサリーを買ってお茶を飲んだ。美男の欧米人に胸をときめかせ、グラマラスな女性達に憧れた。
今でも外国人を好む女性はいるけれど、まだその頃は世間的にももっと無邪気に、アイドルとして見ていた様に感じる。欧米人はいつまでも可愛く美しくて、夢の世界に住む天使みたいだった。
その後大分経って、私自身は海外から移住したり音楽をやりに来たりで現実的な外国人に出会うのだが、頑張って片言の英語を話せば相手をしてくれたり、時に日本人より日本語が上手だったりして、突然海外は身近に感じられ、夢は消え去った。そんな、夢の様な音楽が、レコードから流れていた時代だった。

●DJ BEKATAROU a.k.a. 伊藤元


The Beauty /Prelude To The Horror EP
The Beautyはオダユウジ氏の変名プロジェクトであり、本作は瀧見憲司氏の主宰するレーベル”CRUE-L”からの出版である。
Jesse Ruinsとのスプリットカセットである前作”The Beauty / Jesse Ruins”がドリーミーなダンサブルトラックであったのに対して、本作は所謂リズム主体ではなくゆったりとした作風に仕上がっている。
改めて、レコードに針を落とすと辺りをチルウェイブの空気が覆い、かつて自分が浸っていた感覚...美しい音の霞の中に彷徨うような感覚を再び得ることになる。
あゝ今にも驟雨を降らしそうな退廃的な灰色の雲がかかっていて、、、陰鬱なトランス状態へと導く…
本作は私が最初に入手した”はじレコ”ではあり、入手した当初”レコードを聴けるっ!”と非常に気分が高まっていたあの新鮮な気持ちは忘れるはずもない。しかしまさか盤魔殿のアマルガムで書かせていただくことになるとは…
”踊らせないが鼓動は打つ、肉体が弛緩し変性意識に飛ぶ”という点でこの世から逸脱している。

●DJ Bothis a.k.a. 山田遼


Various Artists - No New York LP 1978(Antilles)
今回はあくまでも人生で初めて買った「レコード」ということで本作を紹介するわけだが、実際には私の世代(1980年代後期)で、それなりに物心がついて「どれ、音楽でも買ってみようかな」という年齢に差し掛かった地方在住者にとって、すでにそこにはレコードそしてレコード屋という存在は身近には無く、レコードに代わる音楽メディアとして流通していた「CD」を買う、ということしか選択肢はなかったように思われる。そのような時代に私が初めて買ったCDはZARDの『Today is another day』であるが、それはさておき上京して下北沢のパワースポットことディスクユニオン下北沢店で購入したレコードが今回紹介するVarious Artists -『No New York』である。Googleでこの作品名を入力して検索すると真っ先にBOØWYのそれがヒットしてしまうのだが、そっちの『No New York』ではなくて、こっちの『No New York』は1978年リリースのノーウェーブバンド4組によるVarious Artists作品で、なんと!プロデュースはアンビエント・ミュージックの立役者とも言える大御所ブライアン・イーノ御大その人であるというから驚きだ。作品の中身はというと、1970年代にニューヨークはSohoにあるアーティスト・スペースという名のギャラリーで4日間に渡りロックフェスティバルが開かれており、その3日目と4日目に出演したのが本作収録の4組のノーウェーブバンドJames Chance & The Contortions、Teenage Jesus And The Jerks、Mars、DNAである。その4バンドのライブをたまたまニューヨークに来ていたブライアン・イーノが目撃し、すぐさま4バンドに対し、コンピレーションを作ろうとラブコールを送り録音されたのが本作品というわけだ。当時巷を賑わせていた流行としてのニューウェーブの波に乗ることを拒否した最前衛としてのノーウェーブの実況録音ともいうべき、カミソリのような切れ味を持つ4バンドの放つ身の危険を感じるような発狂っぷりは「人間とはこうあるべき」という社会的な押し付けに対する全力の拒絶反応のお手本ともいうべき名盤である。個人的はB面3曲目のMars -『Tunnel』がお気に入り。それにしても、ブライアン・イーノ自身の代表作とも言えるアンビエントの名盤『Ambient 1 (Music For Airports)』と本作『No New York』が共に1978年リリースという、ブライアン・イーノの音楽的になんとも両極端な仕事のスタンスに対する驚きもさることながら、20代前半当時の私はなぜこのようなぶっとんだ作品を初めて買うレコードに選んだのか、今となっては全く思い出せないのが不思議でしょうがない。しかしながら、若い時分にこのような素晴らしい作品に触れることがその後の音楽人生の礎になったことに疑いはないので、そのようなきっかけとなる選択をした当時の自分にはこの場を借りて厚くお礼を申し上げたい。

●DJ Qliphoth a.k.a. 宇田川岳夫


名古屋遠征記 フリンジ・ミュージックを求めて 宇田川岳夫
「ヤマザキマザック美術館入り口前の彫刻で11月4日14時にお待ちしております…」春日井直樹氏からのメッセージである。名古屋市営地下鉄新栄駅出口すぐのところにあるヤマザキマザック美術館は、大手工作機械メーカーのヤマザキマザックが運営する美術館である。定刻少し前に所定の場所に赴くと、そこにはサイクリング車とともに立つ春日井直樹氏が待っていた。どちらからともなくお互いに声を掛け合い、目当ての人物に合えたことを自然な形で確認できた。春日井直樹氏は、作品のイメージとは全く異なる物静かな知性に満ちた芸術家然とした風格を備えた初老の紳士だった。春日井氏の先導で、しばらく名古屋市内のレコード屋を巡った。氏にお会いする前に、あの一部で有名な小池輸入レコード(閉店中)の三階建て自社ビルの前を通り、建物が健在であることを確認していたので、小池輸入レコードのその後についてのお話も伺ってみたが、息子さんがビルを相続したこと以外はわからないとのことだった。名古屋の中古盤店、全体にジャズとクラシックが充実している店が多く、高音質を誇る小池レコードで購入した盤を示す「小池盤」コーナーが存在するのは驚いた。
新栄から栄、最後は大須まで足を延ばして、全部で10店舗ほど回りながら、春日井氏と話していると、長旅の疲れも消えていった。東京と比べてレコード価格は安めに設定されていたので、ついつい買い込んでしまった。最後の目的地が、春日井氏が初代オーナーで、現在は三代目オーナーが経営している鶴舞公園近くのライブハウス、デイトリップである。ここでは「奄美 霊能ユタアヴァンギャルドノイズフェス」が開催されるのだ。アヴァンギャルド・ミュージックというかエクストリーム・ミュージックのライブに、出口王仁三郎の曽孫がメンバーである「おとのわ」、さらに奄美大島出身の最後のユタである円聖修による講演とパフォーマンス(?)がコラボし、盤魔殿のヒーローである持田保氏(恐山Vibration)によるDJまで加わるという盛りだくさんなイベントである。



会場の片隅でカウンターに座って、春日井氏が分けてくれたポテトチップをつまみながら、注文したドリンクを次から次へと飲み干し、ライブを見、転換時間には春日井氏や主催者の大谷氏、出演者の皆様といろいろと話が弾んだ。出演者は多かったが、驚いたことにタイムスケジュール通りにオンタイムで進行していった。1番目は「血を吸うカメラ」。進入禁止のOhya Hiro氏がペルシャンタンブールを即興で演奏し、それに「人間石鹸」のドラマーNanaumi Shinnichiがからむという編成だ。ムスリムガーゼを思い出させる演奏だった。その後「山本雅史」(モジュラーシンセによる即興)、「バカにハサミ」(ドラムとエレクトロニクスによるハーシュな即興演奏に女性ヴォーカルが絶叫)、「人間石鹸」(ギターインプロビゼーション、モジュラーシンセ、ドラムス、ヴォイス)とハーシュな演奏が続く。お客様は多くはないが、名古屋のインダストリアル・イベント「faktria」の主催者やContagious Orgasmのメンバー新井氏の姿も見えた。また東京方面から遠征しているお客様もいて、コアなファンの注目を集めているようだった。さて、後半になって「NOISECONCRETE×3CHI5」が、トライバルなリズムとポップさを漂わせるスキャットとインダストリアルなトラックとサイバーな映像を組み合わせたステージを展開すると会場内の熱気もさらにヒートアップした。そしてその次に登場した「石田音人」。モンゴルの馬頭琴や奄美大島のヤシの実で作った胡弓、失われたアイヌの民族楽器を駆使した演奏は、電気的に増幅されてはいないのだが、会場全体に響き渡った。そのあとにしばらくの転換時間をはさんで持田保氏による「恐山Vibration」DJモード。リチュアルなトラックにトライバルなリズムが強烈に重なり、それまで腕を組みノイズに耐えるように聞いていたオーディエンスたちが、踊り出した。「おとのわ」の女性メンバーである出口春日さんも、持田氏のDJプレイに身をまかせて神遊びのように踊った。もちろん私もゆらゆらと体を動かした。「ふるべゆらゆらとふるべ」である。舞いとは真(ま)霊(ひ)であるとの神領國資(笠井叡の弟子で金井南龍の弟子 元舞踏家)の言葉を思い出した。この後に続いたのが「KAZUMOTO ENDO」。極め付きのパワーエレクトロニクスが場内の空気を一変させて邪気を払ったようだ。そして最後から二番目が「おとのわ」。出口王仁三郎の曽孫春日と佐藤なーやによる、クリスタル・ボウルとヴォイスによる演奏は、極上のヒーリング・ミュージックであった。満を持して最後に登場したのが、奄美大島最後のユタ・円聖修師。門外不出のユタ歌(神を呼び起こす歌)は一聴すると奄美方言で歌われていることもあって島唄のようでもあったが、場の雰囲気を変化させるパワーに満ちていたようだ。円師の講演や映像の内容をここに詳述することはできないが、本物だけが持つオーラが漂っていたことは間違いない。
貴重なものを見せていただいたという気持ちになり、会場を後にしてホテルに向かったのは23時ころだった。名古屋での体験はすべてがマジカルであった。
  


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