吉祥寺マイナーを中心に「ガセネタ」というバンドをやっていた山崎春美氏が、自己のユニットとして1981年ピナコテカ・レコードからリリースしたアルバムが「タコ」。
といってもリリース時にはバンドの実態は無いに等しく、坂本龍一、町田町蔵、工藤冬里、篠田昌己、細川周平、大里俊晴、佐藤薫、香山リカなど、当時のサブカル系の人脈を集結させた一大プロジェクトであった。曲調も参加メンバーによって様々だが、放送禁止用語や怨念的な言葉を散りばめた歌詞がアングラの匂いをプンプン放っている。
♪食べて吐いてまた食べて♪と歌われる「嘔吐中枢は世界の源」や坂本龍一氏の玉音演説が聴ける「な・い・し・ょのエンペラーマジック」などは友人の間でも人気があった。
「タコ」としての演奏はCD後半に入っているライヴ(?)音源で聴ける。結構アヴァンギャルドな演奏に山崎氏の"生まれてきてスミマセン"的ヴォーカルがのる刺激的な演奏である。
山崎春美氏というと1984年頃中野Plan Bで行われた「自殺未遂ギグ」を思い出す。身体を包丁で切り刻み、最後は救急車で運ばれていった。それを観て以来、私はアングラ・シーンと距離を置くようになったんだっけ。
後日そのギグで着ていた血染めのシャツが雑誌「宝島」で販売されていたことが思い出される。
山崎氏
クスリがきれて
血に染まる
今思えば、ハナタラシなんかもいてエキサイティングな時代だった。
といってもリリース時にはバンドの実態は無いに等しく、坂本龍一、町田町蔵、工藤冬里、篠田昌己、細川周平、大里俊晴、佐藤薫、香山リカなど、当時のサブカル系の人脈を集結させた一大プロジェクトであった。曲調も参加メンバーによって様々だが、放送禁止用語や怨念的な言葉を散りばめた歌詞がアングラの匂いをプンプン放っている。
♪食べて吐いてまた食べて♪と歌われる「嘔吐中枢は世界の源」や坂本龍一氏の玉音演説が聴ける「な・い・し・ょのエンペラーマジック」などは友人の間でも人気があった。
「タコ」としての演奏はCD後半に入っているライヴ(?)音源で聴ける。結構アヴァンギャルドな演奏に山崎氏の"生まれてきてスミマセン"的ヴォーカルがのる刺激的な演奏である。
山崎春美氏というと1984年頃中野Plan Bで行われた「自殺未遂ギグ」を思い出す。身体を包丁で切り刻み、最後は救急車で運ばれていった。それを観て以来、私はアングラ・シーンと距離を置くようになったんだっけ。
後日そのギグで着ていた血染めのシャツが雑誌「宝島」で販売されていたことが思い出される。
山崎氏
クスリがきれて
血に染まる
今思えば、ハナタラシなんかもいてエキサイティングな時代だった。
それにしても、<自殺未遂ギグ>観てるんですか! 凄い!
僕がタコを知った時はもう83年で、PARCOのモダン・コレクションとか出たりして、マイナー文化のある種のトレンドになってる雰囲気でしたね。時代そのものも、<西武=PARCO文化>の真っ盛りという感じで、今から思えば小春日和の、呑気な時代でした。
・・灰野さんは、この頃の状況をどう感じてたんでしょうねえ? 軽薄なニューウェイヴ野郎ばっかりで(僕もそうでしたが)、居心地悪かったような気がしますが・・。
ぎゃてぃの女オーナーのgigiさんという人に連れられて自殺未遂ギグを観に行きました。
確かに時代は<西武=PARCO>そして<宝島&Fool's Mate>でしたね。私ももみあげを剃ったNew Wave少年でした(笑)。
灰野さんは達観していたから我関せずだったんじゃないでしょうかね。
miroさんのバックボーンを少しだけ垣間見ました。
ところで、この時山崎春美にドクターストップをかけたのは、今をときめく香山リカ嬢だったと何かで読んだ記憶があります。時代だなあ・・。