A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

灰野敬二+山崎阿弥@下北沢Lady Jane 2010.2.20 (sat)

2010年02月22日 00時37分15秒 | 灰野敬二さんのこと
灰野さんの2010年2回目の国内ライヴはヴォイス・パフォーマー山崎阿弥嬢との「春の嵐」と題されたセッション。

久々の灰野さんのライヴなのでLady Janeは満員。

阿弥嬢はまだ若そうなのだが清廉な幼女の歌声から老婆の唸り声、鳥の鳴き声、形容しがたい音まで表現する熟練した演奏家。ハーモニカや貝殻、ボウルなども演奏に取り入れる。灰野さんに背を向けて立ち灰野さんが何をどう演奏しようとも全くブレない演奏態度には感心した。
灰野さんはダラブッカ、ホース笛、SG、リュートなどを演奏。お互いに寄り添う訳でもなく離れる訳でもなく微妙な緊張感が素晴らしい100分間だった。

灰野さんは2月終わり~3月初めにかけて九州ツアーを行なう。
中原さんの話をしたら「彼も自分がミュージシャンであるということを自覚し、いい音を出すようになってきた」とのこと。2年前にノルウェー・ツアーを同行しているのだ。その際中原さんの機材は40kgもあり航空機カウンターで荷物を預けるのに苦労したそうだ。

声の持つ
不思議に触れた
冬の夜

山崎阿弥嬢のパフォーマンスはまた観てみたい。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Psychedelic Moods~日本初の... | トップ | Industrial Noise Recordsの... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
予告どおりに (OZ)
2010-02-22 11:12:58
ブログ主様

 山崎さんは面白そうですね。一度、見に行きたいと思います。

 さて、女子高生と灰野さんの話ですが、例のチョコパと妖精の中間ぐらいの実話です。

 マクラが長くなりますが、ご容赦下さい。私が初めて、灰野さんを見たのは、79年頃、神保町の美学校で、舞踏家の大野一雄さんが、毎週ゲストを迎え4度に渡り、対談する「踏鞴」というイヴェントでしたが、客席前方にいた灰野さんと臼井さん(だと思いますが)を見て昔のアングラみたいな人がいるなという印象でした。

その後、西武美術館の前の洋書店でお見かけしたものの、灰野敬二を音楽家として見るまで、85年のキッドアイラックのライヴを待たなくてはいけません。

さて、月日は流れ、ヤマンバ高校生がはやっている頃、タワーレコードの袋を持った灰野さんが帰りの電車で私の隣に座りました。

当時、灰野さんは杖を持っていましたが、コートも長めで、マントのようでした。ある駅で、ヤマンバ女子高生が乗車してきました。

ヤマンバは、あろうことか灰野さんを指さして
「凍ったゼェ!」と叫んだのです。

まあ、彼女も墨を入れた人や鼻ピアスは周りにいたんでしょうが、灰野さんの魔法使いのおじさんのようなオーラに押されて、何かを感じ、思わず叫んだのでしょう。
彼女の連れも「マジ!?」と二人でフリーズしていました。周りは、勤め帰りの大人で我関せず状態です。

しばらくして、灰野さんは、悠然と下車していきましたが、ヤマンバ達は二人で灰野さんのことを何やら話していました。もちろん、灰野さんを灰野さんとは知らないものの自分が今まで遭遇したことのないタイプの格上の異形の大人に出会ったという感じでした。

灰野さんとは、その後もタワーレコードの民族音楽のあたりで出会いましたが、さすがにこの手の女子高生はおらず、いい体験をさせて貰ったと思います。

返信する
ヤマンバ (miro)
2010-02-23 00:25:32
うわぁ、凄い体験ですね。ヤマンバ高校生懐かしいです。悠然としていた灰野さんに惚れ直しました。
いいお話をありがとうございました。
また何かあったら書き込みお願いします。
返信する

コメントを投稿

灰野敬二さんのこと」カテゴリの最新記事