芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

独居老人ふたたび

2008年03月01日 | Weblog
独居老人の世帯が多いのについてはひと事ではなく、わが母も、私がこちらに来るまでは、一人暮らしだった。母は、火の気にはかなり気を使っていたから、火事を出さずにきた。しかし、先日の駅前の火事は、独居のおばあさんが焚き火の不始末から出したようだ。この町は、早くから、ごみ袋を市から買わされていて、一袋50円のゴミ袋を毎月何袋か買うのは、独居老人ほど負担になるのではあるまいか。だから、燃えるゴミを自分で燃やすのであろう。登米の独居老人の多さは、おそらく他の町でも同じであろうから、佐沼の周辺の町では、独居老人の焚き火は常態化しているであろう。本来、税を取る行政は、飲み水、電気、を安定的に供給して、ゴミ処理は税のうちで解決すべきなのだ。ところが、国を始めとして、行政の失敗を納税者に押し付けているのが、現在の政治である。遠いモヘンジョダロの文明の発生の時代から、ゴミ処理の失敗が、その文明を破壊していると言われている。ゴミ処理の失敗が、疫病を発生させるのだ。だから、医療も、本来、行政の大事な仕事であるのに、行政の失敗で市の赤字を増やしているのを、病院廃院によってその赤字を減らすというのは、政治の不在である。
今の行政の手法だと、ゴミ袋の無料化によって独居老人の家計の足しにするのではなく、独居老人の焚き火の不始末を問題にして、焚き火を禁止するかもしれない。なぜなら、こんな田舎で、下水道工事をして、それを邸に引かせるときの負担基準が、(そこまでの長さ+敷地の広さ)に掛ける基準料金という方式をとるのだ。田舎の邸は広いのがあたりまでから、300坪を描けると、下水道工事の費用が、一軒あたり、100万円を超えるのだ。我が家は、外便所の尿は、畑に蒔くし、内便所のし尿は、浄化槽で処理している。その浄化槽は、汲み取りに来ている会社がちゃんと毎月点検しているのに、役所から検査に来て、検査料を6000円頂きますというのだ。今、はやりの振込詐欺ではないかと思ったが、役所だった。下水道に加入しなければ、そうやって、余計なお金を取るということだ。必要もない下水道工事で莫大な借金を抱え、無理矢理下水道に加入させるのだ。その莫大な費用の大半は市の幹部とゼネコンが山分けしているのだ。それが透けて見えるところに国家政治とその縮刷の田舎政治がある。国民に我慢させて、改革の振りだけする小泉政治の田舎版だ。小泉の膝元の横須賀は、防衛省になった海上自衛隊の艦船の出入りと米国海軍の原子力空母と原潜の出入りで賑わっているのだ。付けを市民に払わせる市の幹部も膝元の佐沼を賑わわせて、ちゃっかり政治の幹部は儲けている構図は同じだ。政治家というよりは商売人と言ったほうが良いだけの人物が幅を利かせている。