芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米にはこういう手合いもいます。

2008年03月21日 | Weblog
お彼岸入りの17日に龍源寺の芳賀家の墓に上げた花が、棄てられていた。ご丁寧に菊の花が茎から千切られ、茎をどこかに捨て、花だけが土に落ちていた。芳賀家の墓は龍源寺境内の中にある。先日、芳賀家のお墓の裏を通りながら、我が家の墓を裏から見ながら、立派な墓だね、と言った人がいるが、その人ではないだろう。あるいは、隣の姑がやはり通ったから、先日来、その息子ににらまれたりしているが、そこまではしないだろう。誰の仕業か分からないが、登米にはそういうことをする人がいることは、子供のころから経験している。家で飼っていたシェパード犬に毒を盛られ、苦しみながら死んだり、お墓から抜いてきた卒塔婆を庭に放り込まれたりした。こういう手合いは仏罰を考えないと見られる。
何しろ、異常に嫉妬深い手合いがいるのだ。私が、登米に現住所を変更しない理由は、一つには、健康保険税もあるが、もう一つは、こういうことをしょっちゅうされるのが煩わしいからだ。私一人なら良いが、家族も住むとなると、私が防波堤にならなければならない。末の松山にならなければならないのだ。それまでして住むよりは、たまに同級生たちと呑んで談論風発の方が良いのではないか。
故郷は愛するが、そういう手合いと戦ってまで住む価値があるかどうか。
まだ、仙台あたりの方が、程々に田舎暮らしもできて、都会風な生活も出来、たまに登米に帰って呑み会をするほうが良いかもしれない。
昨夜またあった会議で、そんな目にあったと言ったら、花を食べようとしたカラスの仕業でないかと、登米にそのようなことをする人はいないという口ぶりだが、からすが、抜き取って、花だけちぎって捨ててあったと言ったら、カラスではねえなと言って人間の仕業と認めた。
墓を荒らすというのは、イスラーム圏でもあり、墓を暴き、そこに埋められている遺体を時には引きずり出したりするようだ。
キリスト教圏でもあることかもしれないが、かなり罰当たりなことで、これは、その行為をした者に災いが降り掛かることだろう。その行為自体に精神的に問題があるからだ。