芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米のキャンペーン

2008年03月12日 | Weblog
先日上京する前に、『登米物語』がジュンク堂書店新宿店に仙台ロフト店から送られたというので、東京で登米を宣伝する良い機会だと思い、今、行なわれている、仙台・宮城D.Cと併せてやるため、まず、登米市観光物産協会に行った。会長という人に、まず、宮城県の造った芭蕉のおくのほそ道の中国語訳を欲しいので、取り寄せてくれるよう頼んで断られ、代わりにここで造ったという松島から平泉に至るおくのほそ道のゆかりの地を案内するパンフを貰った。仙台・宮城D.Cについては、自分たちは関係ないからと、教えられた佐沼にある県の振興事務所に電話して、そこでまた教えられた仙台のD.C事務所に電話して断られ、粘って、JR東日本の営業の電話番号を教えてもらって電話したが、やはり、だめで、すべて門前払いだった。
既に決まったことしかやらないのが役所のようだ。仕方なく、そのあと、登米地区の仙台・宮城D.C の会長という鈴彦に電話して、3月3日(月)朝に会って何か方法がないか聞いたが、役所とは共同して何かやるなどは考えないほうが良いと言われ、資金がいるのですか?などと聞かれる始末であった。つい、中央政府と同じで、登米市で長の付く人に碌な人がいないのではないかと言ってしまった。目の前にいる鈴木彦太氏もヤマカノの会長か何かである。
わたしの考えは、東京の主立った大手書店の目立つところで、登米を含めた宮城県をキャンペーンさせてもらうのだったが、中々ノリが悪いので、諦めた。そうなると、自分の本と、伊達宗弘さんの本を並べてもらってはどうかと思い、上京中に大手書店を訪ねてその企画を力説して歩いた。それには、まず、わたしの『登米物語』を大手書店で扱ってもらわなければならない。昨日、やっと時間が出来たので、八重洲ブックセンターに申込書を送った。もしここが扱ってくれると、東京の大手書店が5カ所で扱ってくれることになる。
取り次ぎを通さないで本を置いてもらうのは、三省堂神保町本店のように1年も掛かるのだ。ジュンク堂仙台ロフト店で、『登米物語』がベストセラーになったから、東京にも送って売ってくれたが、取り次ぎで扱ってもらうには、保証金が1000万円も掛かり、たった500円の定価の本をいくら売っても、取り次ぎから手形で貰えるのが、半年後では、割にあわないからできない相談だ。それだから、中小の出版社がどんどんつぶれるのだ。それでも、本が売れていた数年前までなら良かったが、今は、本を買うなどというのは珍しい人種になっている。何しろ小説も携帯で読む時代だ。切符も携帯に取られそうな気配だ。本を読むのは、普段着から着物に着替える感覚と同じかもしれない。