鎌倉幕府を滅ぼして、天皇親政を目指した後醍醐天皇であるが、足利尊氏が政権をとり、北朝の天皇を立てたため、後醍醐天皇の名目的な南朝政府は、吉野の山の中に追いやられ、その北朝の系統の天皇が現在に至っている。中国でも、ティベットからインドに亡命を余儀なくされたダライラーマは、ティベットの正当な政権を主張しているが、中国は、パンチェンラーマの後継者を選んで、実質的にティベットを支配している。ダライラーマは、20数年前に東京に来た時にホテルニューオータニでお会いしたことがあるが、その頃は心労が絶えなかったと見えて、神経性の丸いハゲが坊主頭の一部にあった。そのダライラーマもいまは、70歳代だ。かつて、日本でも実権を握る政権が別の天皇を立てたように、ダライラーマがなくなったあとの、ダライラーマの後継者を、ティベットを実効支配する中国が、選ぶのではないだろうか。あるいは、かつての日本が南朝と北朝の天皇を戴いていたように、中国とインドにそれぞれダライラーマが選出されるかもしれない。ティベットは政教分離ではなく、ダライラーマが政教両方を支配していた。ティベットはそれによって政治的にも安定していた。日本の徳川時代のような長い平和が続いていたのだ。しかし、植民地主義を標榜する列強によってその平安が破られたのだ。武力一辺倒で押し切られる時代がいまも続いている。