芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

田舎は金が掛かるの例

2008年03月23日 | Weblog
登米に生活の大半を移して、たまに友達と飲んでいる分には構わないが、文章を書くための資料を見ようと思うと急に不便を感じる。仙台・宮城DCに協同で宮城県の宣伝をしようと申し込んで、登米市観光物産協会というところを皮切りに仙台のDC本部まですべて門前払いを食ったので、『登米物語』と伊達宗弘氏の本を一緒に東京で宣伝して宮城を宣伝しようと思ったが、伊達宗弘氏の本を2冊出している版元も、始めは、『ウチの営業にもそれくらいやって欲しい』と言っていたので、乗るかと思ったが、どうも、初版をきれいに売り切ったらそれで終わりということで、それ以上は深追いしたくないという意向のようだから、それならと、自分で、もう一冊登米について書いて、本を出版しようと思いたった。ところが、登米図書館では、本が足りないので、取り寄せられるかと聞いたら、佐沼の図書館なら国会図書館の本を取り寄せられるが、その場で読むだけで、貸し出しは出来ない、とのこと。私は、車を持っていないから、佐沼に通うには、バスしかないが、15時台が最終の登米に帰るバスだ。毎日アッシー君たちを頼むわけにはいかない。これでは、すごい時間が限られて、やりにくい。今から車を買って運転の練習でもない。資料を買うと言っても、神保町辺りをうろついて見つけられるとはかぎらない。そうなると、仙台にウィークリーマンションを借りて仙台の図書館でみるしかないことになる。田舎住まいは、都会よりかえって金が掛かることに気づいた。定年後の年金生活者には田舎が良いというのは必ずしもあたらない。