芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米人とわたしの考えの違い

2008年03月13日 | Weblog
昨日、伊達宗弘『伊達八百年歴史絵巻』出版記念パーティーの幹事の一人から電話が来た。案内状を発送するまで、ブログに書かないで欲しいということだ。私の考えでは、案内状を送った人達だけではなく、なるべく多くの人に参加して欲しいので、ブログで早々と宣伝しているつもりである。もう一つ言われたことは、ホテルサンシャインとの交渉係をまた、元の人にしてもらうということだ。十日に我が家に集まってもらった中にホテルサンシャインの偉い人が来ていたので、私が、前の交渉係に提示された料金では赤字になるから、大幅に負けてくれるように迫り、なんとか、負けてもらったのだが、私のその強引な手法が気に入らなかったらしい。要するに、赤字でも人間関係を大事にしたいということらしい。それはそれで大事なことではあるが、伊達さんの希望で、5000円に押さえたいという範囲で、2,100円の本も出席者に配り、かつ、新たに、伊達さんが以前「河北新報」に書いた論文も印刷して配るというのだから、その上にさらに、案内状の印刷通信費も掛かるのでは、大幅な赤字になるから、座視していられなくなって自らその役を買って出て、負けてもらったのだ。どうもそれは、登米のやり方ではないらしい。その電話に対して、わたしは、印僑、華僑と言われるインド人、中国人と永年つきあって来たので、難しい交渉ごとをして来たから、やったことであり、私の出した交渉結果を押し戻されないようにと言って交渉係更迭を了承した。
先日、上京前の時間のないときに、遠山の里から追い出された「館山」食堂の塚本寿君の、マルマンの二階に引っ越した12月以降に中々引っ越しの挨拶も各方面にしないのを見かねて、わたしが、自ら買って出て、挨拶状と、新たなメニューを作ってやったのだが、それを、棚の上に文字通りたなざらしにして中々メニューも出さないから、イライラして、もう自分で勝手にしろと言って放り出したのだが、家人から、人のことよりまず、自分のことをして下さいと言われ、かつやりかけたのだから、最後までして上げなさいと言われ、印刷まで皆ただでやってあげてから上京した。
どうも、登米の人は、打てば響くのとは違うようだ。しかも、人に助けてもらうと、最後まで自分流にしてもらうのが当然のようだ。だから、遠山の里から追い出されたのかもしれない。
わたしの性格からすると、直ぐイライラするので、家人からは、体を悪くするだけばかばかしいのだから、そんなことを買って出ないで、まず、自分が今しなければならないことをして欲しいと言われた。
確かに、4月の「芳賀邸」開館に向けて、やらなければならないことは山積みだし、東京で、登米キャペーンをするとなれば、伊達さんの本は、伊達家に関する本だから、もう1冊わたしが登米に関する本を書かなければと思い出している矢先である。この際、自分のことに専念しようかと思う。何しろ、本を書くとなると、登米図書館の本では、まるで、足りないから、やはり、東京に行って資料を探さなければならない。取りあえず、宮城県図書館に伊達さんの車に乗せてもらっていって、見てみるのも一つの手だ。
それにしても、最近ブログ閲覧数が倍近くに増えることがあるのは、この電話で登米の人も結構見ているからなのだと分かった。元々、これは、わたしのインド旅行の参加者とダルマサンガの会員たちに報告するために書いていたブログなのだから、わたしが、登米に来て何をしているかを報告する意味合いがあったのだが、ここに来て読者が少し変わって来ているのかもしれない。
登米市の人も読むという前提で書かないといけないかもしれない。