以前、書いたように思われるが、何しろ、最近、とみに記憶が悪くなっているので、屋上屋を重ねるようなことを記したらお許しのほど。先先代くらいの首相の時に、政治改革を約束して国民が大いにそれに乗せられたが、結局は出来ないことをあたかも出来るかのように、マスコミを使って国民をあおっただけだったのだと言うことがそのあと間もなく判明した。しかし、その時の言い方は、改革のために国民に痛みを耐えてもらうということだったが、実は、単なる痛みだけが残り、多くの若者にフリーター生活を強いることになった。それ以来、妙な犯罪が増え、最近の定職のない若者が何をし出すか分からない状態が続いている。若者にもっと希望を持てる社会をつくるには、経団連始め、もっと、真っ当な人間を選ぶのが良いのではないであろうか。しかし、いまも相変わらず、将来に希望を持てる政治経済は望めない。日本国は浮遊しているだけのように見える。伊達宗弘氏とよく話すのは、政治の展望は、少なくても百年の計を立てなければ、目先のことばかりにかけずりまわされ、右往左往して終わってしまう。先ず、日本の将来がどうあるべきかを、軸にして、それから目先のことを決め、多少の揺れがあっても軸から極端に離れなければ良いのではないか。何人かで論議を戦わせ、その方向を見つけることを今しなければ、ただ浮遊する国家になるのではないであろうか。中央政府がこのような浮遊状態なのだから、地方から全うな提案をして行くべきなのではないか。今のように、年金も健康保険も破綻した制度では、若者は、ますます、浮遊して行くのではないだろうか。