浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

内田樹『こんな日本でよかったね』(文春文庫)

2011-11-02 18:57:15 | 日記
 この本も読んでしまった。しかしこちらは一定の評価が難しい。彼はどのくらい本気でこのような文を書いているのか、疑問に思うところも多々あった。たとえば「格差社会って何だろう」という項目は、社会経済的な分析をまったくせずに書いている。こういう文を書くのは、わざと挑発的な議論をしているのだろうか。

 まあそれでも賛同出来る部分もあった。

 たとえば「論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手だてはない。「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する」は、おそらくその通りだろう。

 「本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである」であるから、「教師が知的な向上心を持っていて、それを持っているせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちにはそれが感染する。教師たちが専門的な知識や技能を備えていて、そのせいで今すでに「たいへん気分がいい」のであれば、生徒たちは自分もそのような知識や技能を欲望するようになる。」「教師の仕事はだから「機嫌良く仕事をすること」に尽くされる」(152~3)

 その通りである。しかし最後の学校で、私は授業や補習、生徒との関係以外は、「機嫌良く仕事をすること」ができなかった。職員集団が、私にはあわなかったからである。それだけではなく、最近の学校は教員評価など、教員の「機嫌」が悪くなるような制度をこれでもかこれでもかと導入してくる。その背後にあるのは、教員に対する不信感である。政府・教育委員会はその不信感に基づいて管理を強めてきている。
 静岡県ではセクハラ事件が頻発しているが、その背景には教員のプライドを押しつぶすような施策と多忙化があるからだ。教員を増加させ、教員にもっとゆとりを保障しないと、このような事件はなくならないだろう。


 また「愛国心」についての指摘についても、賛同出来る。 

 「人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。私はそのことの危険性についてなぜ人々がこれほど無警戒なのか、そのことを怪しみ、恐れるのである。歴史が教えるように、愛国心がもっとも高揚する時期は「非国民」に対する不寛容が絶頂に達する時期と重なる。」(259ページ)


 「愛国心」の強要は、強要する側の人間性が問われるのである。
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橋下大阪府政

2011-11-02 13:20:46 | 日記
 テレビに出ている人々が何らかの選挙にでて当選することが多い。日本の選挙民は、テレビに出ているということからタレントに対する投票だと思っているのだろうか。

 またテレビも、一度メジャーになった人々を追う。たとえばゴルフ。石川遼さんがメジャーになって何度もゴルフの試合に出ている。石川さんよりも上手な人々がいても、その人たちはテレビにはほとんどでない。テレビは、メジャーになった人々を追う。社会的に価値あることだから報道するのではなく、この人をテレビに映し出したら視聴率が稼げるだろうというところから選ぶ。

 だから一度テレビに出てメジャや-になると、どの局でも同じ人々がでるようになる。といっても、ボクがテレビを見ているわけではない。新聞の番組欄の情報からこう言っているのだ。本当にどの局も、同じような人を出して、バカらしいことを繰り広げている。バカ番組、実際は見ていない人が多い。

 最近会った人も、最近はテレビを見ない、バカらしい番組ばかり・・・と言っていた。今、そういう認識のひとが増えている。テレビ局は、自ら自らの首を絞めているのだ。視聴率を稼ぐために、お笑いタレントを繰り出し、料理番組を次から次へと流し、時たま旅行番組を流す。

 賢明な人々はテレビを視聴しなくなっているのだが、それでもまだまだ見ている人びとがいて、そういう人々が投票すると、橋下氏のような人が当選する。橋下氏は大阪府の税制状況を改善したかのようなことをコメンテーターが言っていたが、それはありえない。

 下記のサイトを最後までみていくと、大阪府の借金が、橋下府政で増加していることがわかる。橋下府政の政策は、地に足が着いたものではなく、視聴者にとりいるような派手な政策をぶちあげているようだ。

 冷静に考えて投票行動に臨むべきなのである。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9fb9df6623743aee9a8846e7faf32516


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内田樹『街場の現代思想』(文春文庫)

2011-11-02 09:51:29 | 日記
 『首長の暴走』のなかで引用されていた内田樹の『街場のメディア論』(光文社新書)を図書館から借りて読んでいたところ、なかなか面白く購入することにした。途中で読むのをやめて返却したが、その他も読んでみようと思って『街場の現代思想』(文春文庫)を購入して昨日読了。これは面白かった。軽いノリで書いているので肩が凝らない。あっという間に読める。参考になる意見もあり、読んでみても良い。特に大学生向けに書かれているので、時間があったら読んでみよう。

 そのなかでいくつか賛同出来る意見を紹介しよう。

 「高等教育においていちばんたいせつなのは、学生が「すでに知っている知識」を量的に拡大することではなく、学生に「そんなものがこの世に存在することさえ知らなかったような学術的知見やスキル」に不意に出くわす場を保障するということなのである」(201)

 最近の大学の改革方針は、実際に社会(企業などで)で直接役立つような資格などの取得に邁進しているようだが、それでは学問のおもしろさなどが味わえないのではないかと思う。学問は学問として自立的な側面があり、何でもかんでも直接経済活動などに直結するものではないし、そうさせてはならない。わざわざ自分自身の金を投資して大学に行き、企業に就職した時の即戦力となるような力を身につけることに、私は少しの疑問を持つ。

 「まず「暇」が必要なのだ。しかるのちにはじめて、その暇を「つぶす」ために、さまざまな工夫を人間は考え始めるのだ」(66)

 その通りだと思う。長い間仕事をしていたが、年齢を重ねにつれて「暇」がなくなってきた。これではいかんと思って退職したのだが、出現した「暇」を十二分に駆使しているが、しかしいろいろやることがあって、ボーッとしているような時間はない。

 まあ本書は当たり前のことをエッセイ風に書いているのだが、その当たり前のことにプラスアルファしているという感じのもの。時間があまった時に読んでみてまあためになる。
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