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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

上原善広『日本の路地を旅する』(文藝春秋)

2011-11-06 07:58:31 | 日記
 「路地」という語を、作家中上健次はつかった。自分自身が生まれ育った被差別の村、それを「路地」と呼んだ。和歌山県新宮市にある「路地」であった。中上はその「路地」を真正面から見つめた。

 ほぼ全国各地に「路地」はある。点として、あるいは面として存在し、あるいは消えた。静岡県にも「路地」はある。浜松市にもある。
 
 上原は、全国各地にある「路地」を訪ねる。その軌跡を本にした。「路地」に残る食、文化、あるいは生業。自らも「路地」出身であるが故に、あちこちに「故郷」を発見する。

 私も静岡県内の「路地」について、とくに文献に基づいて調べたことがある。ただその静態的な状況ではなく、「路地」にまつわりついていた差別や貧困をどのように自らの力で、あるいは行政の力をつかって克服しようとしてきたか・・について調べ、また書いた。しかしそれぞれの「路地」の生活について、あるいはそこに生きる人々の息遣いについては調べなかった。

 上原は、そこを書いた。

 「路地」に住む人々の仕事は、突然時を飛びこえるが、戦国大名にとって必要不可欠であった。だから大名は、自らの版図を変える毎に、「路地」の人々を帯同した。また地域で農業で生きる人々は、猪などの襲来を防ぐべく、「路地」に住む人々を招いた。

 「路地」に住む人々は、差別されながら、同時に必要不可欠の存在として存続していた。

 今、「路地」をある意味で際立たせていた生業や文化は、消えつつあり、見えなくなった。しかし、おそらく、時にそれは生業や文化と切り離されたところから、ふと顔を出すことがある。その顔は、「差別」という事態である。何の存在理由を持たない「差別」だけが取り出されるのだ。

 さて本書でもっとも気になったところは、沖縄の「京太郎」のことである。琉球に「路地」はない。だがただひとつ、日本にルーツを持つと思われる「京太郎」の存在があったという。その姿そのもののほとんどは消えている。

 「路地」の生業と文化は、記録されなければならない。「差別」とはいかなるものであるのかをえぐり出すために、同時に「差別」の息の根を止めるために。

 
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