浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

村山談話(続)

2013-08-16 21:40:19 | 日記
 谷野氏は、故加藤周一の文を引く。

 “歴史の歪曲”は百害あって一利なきものと思う。それは日中友好関係をもっとも深いところで傷つける。それはまた、日本人の誇りをも傷つけるだろう。日本人の誇りは、過去の誤りをごまかして言い繕うことにあるのではなく、みずからそれを直視し、批判してたじろがない勇気にこそある。


 そして一部の「アジア解放のための戦争」という考え方についても、「首をかしげたくなる」という。アジア諸地域の「解放」は、その地域の人々によってなし遂げられたものであって、それ以外ではない。

 そして最近の在特会というヘイトスピーチ集団の行動について、こういう。

 12年前、新大久保の駅で、誤って線路に転落した人を救おうとして、もう一人の日本人と共に線路に飛び降り、共々一命を落とした韓国人留学生(イ・スヒョン君)がいました。その後、お二人に対して、多くの方々からそれぞれのご両親のもとに弔慰金が寄せられたのですが、ご両家とも受け取りを拒否され、イ・スヒョン君の方については、ご両親のご意向で、ご子息同様、日本語の勉強を志して韓国はじめアジアから日本に来ている若者たちの勉学の一助に充ててほしいということになりました。その結果、弔慰金を中核として、これにご両親のお気持ちに賛同される方々からのご厚志もいただき、イ・スヒョン君を顕彰する「イ・スヒョンアジア奨学会」という奨学金組織を立ち上げました。
   (中略)
 新大久保でくりひろげられるあの荒々しい光景を天国のイ・スヒョン君はどのような思いで眺めているかと思うと本当に悲しくなります。


 外交官というと、胡散臭い人士が多いが、こういう人もいるのだということがよくわかった。谷野氏は歴史の勉強もキチンとされ、きわめて良心的なひとであることがわかる。

 この谷野氏の話を読んでおくことをおすすめする。

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村山談話

2013-08-16 21:04:51 | 日記
 『世界』9月号のなかで、大いに触発されたインタビューに、「「歴史」を正しく語り継ぎ、より確かな未来につなげていくこと」がある。答えているのは、谷野作太郎氏。もと外交官である。副題は、「「村山談話」が発信したもの」である。
 
 この内容が素晴らしく、また格調が高い。

 「村山談話」の「たたき台」を書いた人だ。当時の肩書きは内閣外政審議室長。安倍政権は、本心ではこの「村山談話」を否定したいようだが、おそらくそれに同調する人々は、この全文を読んだことはないだろう。そこで、ここに全文を掲載しておく。


村山内閣総理大臣談話 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)1995年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


 谷野氏は、実態としての「敗戦」を「終戦」と言いつくろってきたことに違和感を覚え、正確に「敗戦」と認識すべきことを指摘する。そしてこういう。

 一部において、日本はABCDラインに包囲されて止むを得ず立ち上がったんだ、という主張もあります。しかし、ここですっぽり抜けているのはその前史、すなわち無謀な日中戦争、そうしてこれがどうにもたちゆかなくなって資源を求めて、東南アジアに兵を進めた(南進)、このくだりです。これで今や対米関係も決定的に悪くなりました。

 史実はその通りである。ボクもそこをいつも話すのだが、しかし、こういう史実を無視して、都合のよいところだけをとりだして自らの「歴史」を語る人たちがいるのは残念なことだ。

(この項つづく)
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歴史研究で闘う

2013-08-16 20:52:53 | 日記
 東京大学の日本近代史の研究者に加藤陽子氏がいる。加藤氏は、すでにいろいろな著書を持っているが、ボクも何冊かを読んでいる。実証性豊かな研究が多く、ボクは購読している東京大学出版会の『UP』では、加藤氏の文をいつも最初に目を通す。

 その加藤氏についてのブログを見つけた。8月15日のNHKの「視点・論点」という解説番組で、加藤氏が「終戦の日と歴史家の役割」について話したそうだ。残念ながら、ボクはそれを見てはいない。

 もと外交官である天木直人氏が、自身のブログでその内容を紹介している。

http://www.amakiblog.com/archives/2013/08/16/#002674
 
 このなかの、「歴史家は権力におもねって都合のいい部分だけを語るのではなく、一つでも多くの真実を尾発掘し、それを国民に提示しろと言っているのである。」は、ボクたち歴史研究に少しでも携わっている者に対する要望であると思った。

 勿論ボクは、そうした観点を持ってはいるが、そうでない研究者が増えているように思える。

 歴史の研究それ自身でも、闘っていくことが求められている。


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公共事業が目白押し

2013-08-16 09:15:59 | 日記
 今日の『東京新聞』の記事。この記事の言うとおりである。自民党とそれを支援する人々は、とにかく金さえはいればよいのだ。消費税も、増税されたらそれを自らの懐にいれればよいと考えている。

 復興財源も、被災地ではなく全国にばらまかれた。日本の政官財複合体は、国民からカネを巻き上げ、それを懐に入れることしか考えていない。企業で法人税を納めているのは、ほとんどないようだ。もうらうだけの日本企業。
 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013081602000137.html

消費増税分で公共事業? 社会保障目的、怪しく
2013年8月16日 朝刊

 自民党が大型公共事業を各地で乱発しようとしている。安倍政権が秋に実施するか最終判断する消費税増税は、膨らみ続ける社会保障費に充てる財源とするはずだが、お金に色はない。公共事業を大盤振る舞いすれば増収分を食いつぶし、増税の目的を喪失しかねない。 (関口克己)

 七月の参院選で、自民党は党本部の公約のほか、地域独自の「ローカルマニフェスト」を作り、有権者に示した。本紙のまとめでは、三十八都道府県連が作成。そのほとんどで「経済再生」などを目的に、公共事業の推進を掲げた。内容は、実現可能性の有無を含めて百花繚乱(ひゃっかりょうらん)だ。

 京都府連が掲げた京都縦貫自動車道は二〇一四年度の完成が目前。一方で、愛知県連が掲げた県内の知多半島と渥美半島を結ぶセントラル大橋(仮称)はアイデア段階で、地元では「できるはずがない」との見方が支配的だ。長さは日本最長の瀬戸大橋(岡山県-香川県)に匹敵し、兆円単位の超巨大事業になりかねないからだ。

 都道府県連が参院選で公共事業を前面に掲げたのは、地方を重視する姿勢を示し、支持を得たいため。

 同時に、安倍政権が東日本大震災を教訓に、災害に強い国づくりを目指す「国土強靱(きょうじん)化」を掲げていることも背景にある。党からの圧力を受け、安倍政権が公共事業の推進に力を入れれば増税の目的が失われかねない。

 自民党が昨年八月、公明、民主各党と関連法を成立させた社会保障と税の一体改革は、消費税の増税分で社会保障を維持するのが目的だったからだ。

 ただ、増税法の付則に「防災・減災に役立つ分野に資金を重点的に配分する」との規定が盛り込まれ、公共事業費を増やす余地を残した。

 自民党の都道府県連が参院選で推進を掲げた公共事業のほかにも、各地では高度経済成長期に造られた道路や橋などの老朽化対策が求められている。

 東洋大学の根本祐二教授(公共政策)は「新規の公共事業を進めれば、既存のインフラの維持は諦めないといけない。優先順位なしに新規事業を進めるのは無責任だ」と指摘。消費税増税についても「社会保障に充てるのが目的のはず。新規事業を進めるなら、別の税負担を求めざるを得ない。国民に説明し、選択を求めないといけない」と話す。
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世論調査

2013-08-16 09:06:52 | 日記
 時事通信が世論調査を行ったという記事が、『中日新聞』にあった。

 そのなかに先の参議院選挙で「ねじれが解消したこと」について、「よかった」と評価した者が58.5%、「よくなかった」が24.5%だという結果が出たそうだ。

 マスメディアは、自民党公明党の主張をバックアップして、ねじれが解消したほうがよい、というような報道をしていたから、当然の結果だろう。

 日本の社会は、支配層がマスメディアと歩調を合わせて世論をつくりだしている。そしてその確認のために、世論調査を繰り返しているのだ。

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戦争を振り返る

2013-08-16 08:28:11 | 日記
 『朝日新聞』全体は、『読売』『産経』と歩調をあわせるようになってるが、なかには良い記事もある。

「強盗、殺人…軍命でも私は実行犯」 罪語り、誓う不戦 兵の体験、次代に

 広い庭にやせこけた兵士が片ひざをついている。台座に「不戦」の2文字。この像を建てた主、矢野正美(まさみ)さん(愛媛県西条市)は昨年2月、92歳で亡くなった。戦場で犯した罪を語り、何度も「8月15日まで生きたい」と言い残した。矢野さんが伝えたかったものとは何なのか。


 首都圏を中心に戦争体験者の証言記録に取り組んできた神(じん)直子さん(35)に、矢野さんから突然連絡が来たのは、7年前の夏。その朝、テレビで神さんの活動が紹介された。

 「ぜひ、愛媛に来てください」。3カ月後、神さんの前で矢野さんは2日間、従軍したフィリピンであったことを語り続けた。

 ルソン島のある村で、ゲリラ潜伏を調べていた時。教会から出て来た老女が怪しいと、上官が銃剣で突くよう命じた。

 「しょうがない。グスッと胸を突いたら血がばーっと出てね。空(くう)をつかんで、その人は倒れました」。別の村では、残っていた子連れの女性を襲った。

 「強盗、強姦(ごうかん)、殺人、放火。軍命であっても、私は実行犯。罪の意識はある。かといって(戦友の)慰霊には何回も行ったが、謝罪のすべを知りません」

 こんな恐ろしい告白もあった。

 敗走を続け、飢えに苦しんだ山中で、日本人の逃亡兵を仲間の兵が殺した。その晩、仲間の飯ごうから、久しぶりに肉の臭いがした。「奪い合うように食べました」。次の日には自ら死体の所へ行き、足の肉をはぎ取った。

 1941年に陸軍に入隊した矢野さんは、44年夏、旧満州からフィリピンに転じた。米軍との激戦で日本軍約60万人中50万人が死に、矢野さんの部隊の生き残りはわずか1割。フィリピン人は100万人以上が犠牲になった。

 45年12月、25歳で復員。家庭をもうけ、砂利運搬船を持ち、懸命に働いた。会社を興し、財をなした。


 ■狂気・むごさ、碑に

 戦後40年がたったころ、同郷の陶芸家・安倍安人(あんじん)さん(74)が、矢野さんの戦中の日記を偶然読んだ。収容所でトイレ紙にメモしたものを引き揚げ後、大学ノート6冊に清書していた。「きれいごとじゃない、人間と人間のつぶし合いを、矢野さんは克明に書いていた。驚きました」

 日記は安倍さんらの手で出版社に持ち込まれ、「ルソン島敗残実記。」と題されて86年、世に出た。矢野さんは何も言わず、子や孫に一冊ずつ渡した。

 長女のみゆきさん(66)にはショックだった。目を背けたくなる父親の行為が描かれていた。幼いころ聞かされたのは、フィリピン人や戦友とののどかな交情の話ばかりだった。

 妻の清美さん(86)は驚かなかった。夫の腰には、敵に撃たれた銃弾のかけらが残っていた。「いくつも傷を抱えているのは、わかっていました」

 本が出て数年後、矢野さんは近くに住む彫刻家の近藤哲夫さん(71)に、兵士の銅像を依頼した。「ただの慰霊碑じゃない。人間を異常にしてしまうほど、戦争はむごいもんだと伝えたい」と口説いた。91年3月、像は完成した。

 矢野さんは、神さんに語った。「僕ができんかったことをあなたがやろうとしている。自分ももう一度、話さなくちゃいかんと」

 戦場で起きたことを語れる人は、年々去ってゆく。神さんは、他の元兵士の証言とともに矢野さんの映像を編集し、若者むけの平和教育に使っている。フィリピンの戦争被害者の前でも紹介された。

 矢野さんは最後の数年、たびたび人前で体験を語った。戦争のことを考える若い人や団体に出会うと10万円、100万円といった金額を寄付して応援をした。

 体調を崩して入院したのは去年1月。最期の日、「8月15日まで生きたい」と繰り返した。極限状態のなかで死んでいった戦友を、毎年思う大切な日だった。

 残された庭の像は、「不戦之碑」と名付けられた。兵士の肩に、蝉(せみ)しぐれがふりそそいでいる。(石橋英昭)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201308140587.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201308140587
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安倍政権のスタンス

2013-08-16 08:00:13 | 日記
 安倍政権は、アメリカなどからの批判により、その態度を隠しているが、安倍政権は河野談話や村山談話を引き継ぎ気持ちをまったく持っていない。

 『世界』9月号の和田春樹論文によれば、安倍政権は言を左右にして、侵略と植民地支配を認める答弁をいっさいしていない。

 昨日の全国戦没者追悼式で、加害と反省を言明しなかったことに、それは示されている。『朝日新聞』の見出しは、「首相の式辞、加害責任に触れず 「不戦の誓い」もなし」となっているが、それはそうだろう。安倍政権は、そうした志向をもってるからだ。

 この記事中、「今回の式辞の見直しは、国内の戦没者や遺族向けと対外的なメッセージを両立させてきた追悼式の趣旨を国内向けに徹底するという目的がある。」が本文として、つまり政府の説明としてではない形で書かれているが、これは政府の説明である。こういう政府の主張を本文として載せるのはいかがなものか。

 一応、安部の追悼式でのことばを掲載しておく。「世界の恒久平和に・・・・」の部分は、集団的自衛権を認めて米軍とともに世界で動き回りたいという安部の野望が隠されているような気がする。


天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。

 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 御霊を悼んで平安を祈り、感謝を捧げるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。

 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進(まいしん)してまいりました。

 今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。

 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。

 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。

 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞といたします。

 平成25年8月15日

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