一昨年「近代日本に於ける国学」というテーマで、4回の講座を受け持った。このテーマは、要するに「国体」思想がどのようなルーツの中から誕生し、近代日本においてどのような役割を果たしたのかについて話すというものだ。
しかし、まだまだ考察が不十分だと思い、それ以後も関連する文献を渉猟しているが、近代日本においては「国体」思想が、体制を支える思想、すなわち支配思想であったわけだが、では今日における支配思想は何かと問うとき、おそらく日米安保体制を支える思想がそれであろう。
日米安保体制の内容を簡単に調べるだけでも、それが日本の従属、もっといえば隷属という本質を持つことがわかるが、本土に住む日本国民はそうした本質を認識はしていないだろう(沖縄県民は、それを身体で認識しているはずだ)。日米の軍事同盟を維持することが、日本の存立にとってきわめて重大なことだということだけを、日本国民は共通の意識としてもっているのだろうと思う。
後世の政治思想家が、20世紀後半以降の日本の政治思想をどのように分析するのか知りたいものだ。
今、「国体」思想に関わる本を読んでいるので、そうした感慨を持つのだが、いろいろ読んでいくと、過去に出現した思想が今も再生していることを感じる。とくに体制を支える、過去の思想が今も力を持っていることを感じる。逆に、体制的秩序に違和感を持った思想、あるいは反体制的な思想は、まったく力を持たずに消えていっているような気がする。
なかなか変わらない。
しかし、まだまだ考察が不十分だと思い、それ以後も関連する文献を渉猟しているが、近代日本においては「国体」思想が、体制を支える思想、すなわち支配思想であったわけだが、では今日における支配思想は何かと問うとき、おそらく日米安保体制を支える思想がそれであろう。
日米安保体制の内容を簡単に調べるだけでも、それが日本の従属、もっといえば隷属という本質を持つことがわかるが、本土に住む日本国民はそうした本質を認識はしていないだろう(沖縄県民は、それを身体で認識しているはずだ)。日米の軍事同盟を維持することが、日本の存立にとってきわめて重大なことだということだけを、日本国民は共通の意識としてもっているのだろうと思う。
後世の政治思想家が、20世紀後半以降の日本の政治思想をどのように分析するのか知りたいものだ。
今、「国体」思想に関わる本を読んでいるので、そうした感慨を持つのだが、いろいろ読んでいくと、過去に出現した思想が今も再生していることを感じる。とくに体制を支える、過去の思想が今も力を持っていることを感じる。逆に、体制的秩序に違和感を持った思想、あるいは反体制的な思想は、まったく力を持たずに消えていっているような気がする。
なかなか変わらない。