浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

静岡

2016-02-21 20:58:16 | 日記
 今日は静岡で講演。浜松の某所で講座をやるときは、もっと賑やかで、狭い部屋が人でいっぱいになるのに、静岡ではひろい会議室に約30人。そして静かだ。講演後に質問をうけつけたが、その話すスピードが浜松と比べるとゆっくり。

 静岡は駿河国、浜松は遠江国、国が違うのだから当然か。

 帰途、ボクの属している研究会の初代会長のご自宅を訪問。いつものように机に向かって本を読まれていた。先生は、本を読みながらいっぱい付箋をつけていく。その付箋も多色である。今まで疑問に思っていたので、色を変えるのは何か理由があるのかと尋ねたら、意味はなく、色がいっぱいあったほうがよい、ということだった。
 以前お邪魔したときとは異なる本が多数あった。その多くにカラフルな付箋がついていた。

 会話の中で、いつものように、先生は、弁証法を力説された。現実世界を、あるいは歴史世界を弁証法的に捉えることの重要性をいつも指摘される。

 ボクも学生時代から弁証法については学んでいる。最近はあまり自覚しないが、以前は弁証法的な論理学にもとづく概念をよくつかっていた。

 先生のご研究は、論理と実証が二つともうまい具合にかみ合って存在している。そしてきわめて精緻である。ボクなんかとても足元にはおよばない。

 ずっと前から、歴史理論についてお書きになったらどうか、とすすめてきたのだが、未だ実現していない。歴史理論というのは、歴史を認識する論理でもあって、やはり学問研究には論理がなければいけない。論理がない研究というのは、柱のない家のようなものだ。
 先生と話をしていると、そういう気がする。

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戦争

2016-02-21 10:00:47 | 日記
 昨日、DAYS JAPANの3月号が届いた。いつものように、戦争の悲惨が、まず映し出されていた。いつ終わるとも知れない中東での戦闘。欧米諸国が、これでもかこれでもかと軍事介入し、イスラム教徒たちを殺していく。何人が殺されたのか、それすらわからない。ひとりひとりの人生はもとより、量(数)的にすら把握されない。人間存在についての懐疑が生まれてくる。

 爆撃などで殺されている事実を見るとき、ことばを失う。

 昨日、研究会があり、15年戦争下の戦争神経症の報告を聞いていたが、その直前にこのDAYS JAPANの写真を見ていたので、報告を聞きながら、この人は、こうした現実をどう考えているのだろうかと思った。研究者の道を歩もうとしている若い人だが、報告のための報告、資料が発見されたからその資料を使ってとにかくまとめてみようという姿勢だったのか。

 強烈な現実認識があってはじめて、何ごとかを研究しようとか、何ごとかを書こうという意欲がでてくる。

 『世界』の3月号、もと裁判官であった原田國男さんの「裁判官の余白録」、なかなか含蓄のある文でいつも目を通すのだが、今月号のそれに何冊かの本が紹介されていた。その中の一冊、岡村治信『青春の柩 生と死の航跡』(光人社)を購入して読んでいる。

 この岡村治信も、もと裁判官である。この本、語彙が豊富で、戦争を描いているのだが、きれいな文で綴られている。判決はonesentenceが長く、無味乾燥な文が並べられているのだが、岡村という裁判官どういう判決文を書いたのだろうかと思うほどだ。

 岡村は戦時中海軍の士官として、ウエーク島攻略戦に参加した。そこに同島にあった占領直後の米軍基地の様が記されている。現在でも、米軍基地では兵士が自国での日常生活と同じように過ごすことができるように、映画館もあれば、ビリヤードや球技場、バーなども備えられ、食料なども豊富に蓄えられているのだが、第二次大戦中でも同じような施設が備えられていたことに驚きを覚えた。

 日本軍は、戦場では日常生活と隔絶された非日常の過酷な生活に長期間追い込まれ、強烈な忍耐力を求められるが、米軍兵士は日常生活と戦場とが同居しているのである。

 本を読むと、新しい発見をし、いろいろなことを知ることができる。

 今日午後、静岡で田中正造と静岡について話すが、そこで話すことは、企業は利益を得る、しかしその企業が引き起こした害毒により国民が苦しみ、そしてその回復に税金が使われること、そして正造の非戦論を紹介することである。ボクの研究は、いつも現実認識の上に行われる。
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