大杉栄から今何を学ぶかについて考えたことを綴った文を二つ、重複部分を省いて貼り付けました。
今年も9月16日がやってくる。関東大震災後の混乱の中、国家権力が牙をむき、朝鮮人や浜松に縁のある平沢計七、川合義虎ら労働運動家、そして大杉栄や伊藤野枝、橘宗一を虐殺した。これらは近代日本国家の深淵を窺わせる大事件であった。何故に、国家権力は彼らを葬り去ったのか。90年以上も前の事件ではあるが、この問いは今も、今後も追及され続けなければならない。
今年5月、それを考える契機となる本が出版された。子安宣邦『「大正」を読み直す』(藤原書店)である。子安はこの本で、鋭い問題提起を行う。「全体主義的時代」であった「昭和とは大正がまさしく作りだしたのではないか」と。「大正」に「大衆社会」が「早期的成立」したのなら、「日本という近代国家社会は市民的国民の形成を見届けることなく、大衆的国民の時代に奔流のごとく入っていった」、そしてその「大衆」が「全体主義的国家の「大衆」になる」と。そして「「大正」を読み直すことは、「昭和」を、戦前の「昭和」だけでな」く、「戦後の昭和」をも読み直すことになる」と。
子安は、田中伸尚の『大逆事件ー死と生の群像』(岩波書店、2010年)をもとに考察を加える。1910年の大逆事件に関して、戦後の1963年再審請求が行われた。東京高裁で行われた審尋は何と非公開で行われ1965年棄却。最高裁も1967年特別抗告を棄却した。これを子安は、「戦後日本の〈民主主義〉的国家・社会とは、「大逆事件」が「大逆事件」としてあり続けることを許している国家・社会であること」を指摘する。そして「日本の社会主義は」「思想的成熟をもたらすことなく、ほとんど萌芽のうちに千切りとられ、縊り殺された」、「社会主義に「大逆罪」という罪科を負わせて始まった」というのである。さらに山川均や荒畑寒村の言説を検討するなかで、幸徳の「〈パンの要求にもとづく〉直接行動論」が「大逆事件」と直線で結ばれることにより、社会主義者によっても「抹殺された」ことを指摘する。
そして1923年、大杉が虐殺された。子安は、こう論じる。「近代日本の国家と陸軍とは幸徳と大杉たちを〈アナーキズム〉と〈直接行動論〉とともに殺したのである。それ以来日本人はアナーキズムとは何か、直接行動論とは何か、はたしてそれらは彼らの殺される理由をなすものであったのかを問うこともなく、闇の中に置き棄ててしまったのである」。だから、「いま大杉を読むことは、大杉という〈人〉とともに殺された〈思想〉を読むこと」であるとし、三点で大杉の〈思想〉を検討する。一つは、「民衆こそが運動の主人公であって、決して使い捨ての道具であってはならない」という運動論での〈思想〉、もう一つは、ロシアの「ボルシェヴィズムをめぐる認識の先見性」、そして「民本主義」への批判。大杉の殺害により、近代日本が見捨てた「近代国家と国家主義への本質的な批判を読むこと」、その批判を可能にした「民衆的自治・自由論、民衆的直接行動論を「民主主義」の再生の力にしていく」ことが必要であると、子安は主張する。
新しい大杉栄の全集(ぱる出版)が完結した。幸徳や大杉、そして野枝の〈思想〉を、今こそ、「闇の中」から引き出し、現代という時代に「再生」させていく必要がある。この9月の墓前祭は、そのために開催される。
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今年、ぱる出版の『新編・大杉栄全集』が完成しました。その全集を読んでいる中で、もうひとつ気がついたことがあります。大杉はクロポトキンの『相互扶助論』を翻訳しています。これに関して大杉は1915年に「動物界の相互扶助」を書き、それについて論じています。「残忍な生存競争の法則」ではなく、蟻などの動物世界でも、人間世界でも「相互扶助」こそが主要なものであると。
今月号の『世界』にみずからも障がい者である東大の研究者である熊谷晋一郎さんが、相模原事件に関連して、「「語り」に耳を傾けて」という文を書いています。そのなかに、今度の事件の背景に「各人各様に頼る先が少なかったのではないか」として、「依存先が少ないと暴力の加害者や被害者になるリスクが高まることは、すでに事例の蓄積によって部分的に示されています。まずすべての人に依存先を保障することを考えないといけないし、依存先が存在するという情報を、きちんとみんなが見られるようにしておく必要がある」とありました。
依存先があること、それは相互扶助でもあります。それが大切であると主張されていました。大杉の思想からくみ取ることの出来るものが、ここにもあるのではないかと思うのです。
今年も9月16日がやってくる。関東大震災後の混乱の中、国家権力が牙をむき、朝鮮人や浜松に縁のある平沢計七、川合義虎ら労働運動家、そして大杉栄や伊藤野枝、橘宗一を虐殺した。これらは近代日本国家の深淵を窺わせる大事件であった。何故に、国家権力は彼らを葬り去ったのか。90年以上も前の事件ではあるが、この問いは今も、今後も追及され続けなければならない。
今年5月、それを考える契機となる本が出版された。子安宣邦『「大正」を読み直す』(藤原書店)である。子安はこの本で、鋭い問題提起を行う。「全体主義的時代」であった「昭和とは大正がまさしく作りだしたのではないか」と。「大正」に「大衆社会」が「早期的成立」したのなら、「日本という近代国家社会は市民的国民の形成を見届けることなく、大衆的国民の時代に奔流のごとく入っていった」、そしてその「大衆」が「全体主義的国家の「大衆」になる」と。そして「「大正」を読み直すことは、「昭和」を、戦前の「昭和」だけでな」く、「戦後の昭和」をも読み直すことになる」と。
子安は、田中伸尚の『大逆事件ー死と生の群像』(岩波書店、2010年)をもとに考察を加える。1910年の大逆事件に関して、戦後の1963年再審請求が行われた。東京高裁で行われた審尋は何と非公開で行われ1965年棄却。最高裁も1967年特別抗告を棄却した。これを子安は、「戦後日本の〈民主主義〉的国家・社会とは、「大逆事件」が「大逆事件」としてあり続けることを許している国家・社会であること」を指摘する。そして「日本の社会主義は」「思想的成熟をもたらすことなく、ほとんど萌芽のうちに千切りとられ、縊り殺された」、「社会主義に「大逆罪」という罪科を負わせて始まった」というのである。さらに山川均や荒畑寒村の言説を検討するなかで、幸徳の「〈パンの要求にもとづく〉直接行動論」が「大逆事件」と直線で結ばれることにより、社会主義者によっても「抹殺された」ことを指摘する。
そして1923年、大杉が虐殺された。子安は、こう論じる。「近代日本の国家と陸軍とは幸徳と大杉たちを〈アナーキズム〉と〈直接行動論〉とともに殺したのである。それ以来日本人はアナーキズムとは何か、直接行動論とは何か、はたしてそれらは彼らの殺される理由をなすものであったのかを問うこともなく、闇の中に置き棄ててしまったのである」。だから、「いま大杉を読むことは、大杉という〈人〉とともに殺された〈思想〉を読むこと」であるとし、三点で大杉の〈思想〉を検討する。一つは、「民衆こそが運動の主人公であって、決して使い捨ての道具であってはならない」という運動論での〈思想〉、もう一つは、ロシアの「ボルシェヴィズムをめぐる認識の先見性」、そして「民本主義」への批判。大杉の殺害により、近代日本が見捨てた「近代国家と国家主義への本質的な批判を読むこと」、その批判を可能にした「民衆的自治・自由論、民衆的直接行動論を「民主主義」の再生の力にしていく」ことが必要であると、子安は主張する。
新しい大杉栄の全集(ぱる出版)が完結した。幸徳や大杉、そして野枝の〈思想〉を、今こそ、「闇の中」から引き出し、現代という時代に「再生」させていく必要がある。この9月の墓前祭は、そのために開催される。
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今年、ぱる出版の『新編・大杉栄全集』が完成しました。その全集を読んでいる中で、もうひとつ気がついたことがあります。大杉はクロポトキンの『相互扶助論』を翻訳しています。これに関して大杉は1915年に「動物界の相互扶助」を書き、それについて論じています。「残忍な生存競争の法則」ではなく、蟻などの動物世界でも、人間世界でも「相互扶助」こそが主要なものであると。
今月号の『世界』にみずからも障がい者である東大の研究者である熊谷晋一郎さんが、相模原事件に関連して、「「語り」に耳を傾けて」という文を書いています。そのなかに、今度の事件の背景に「各人各様に頼る先が少なかったのではないか」として、「依存先が少ないと暴力の加害者や被害者になるリスクが高まることは、すでに事例の蓄積によって部分的に示されています。まずすべての人に依存先を保障することを考えないといけないし、依存先が存在するという情報を、きちんとみんなが見られるようにしておく必要がある」とありました。
依存先があること、それは相互扶助でもあります。それが大切であると主張されていました。大杉の思想からくみ取ることの出来るものが、ここにもあるのではないかと思うのです。