浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

出会い

2016-09-12 21:27:56 | その他
 いろいろな出会いがある。人との出会い、本との出会い。そういう様々な出会いを通して人間は成長していく。

 一昨日、昨日、私は大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の墓前祭のために、静岡に行ったり、名古屋に行ったりした。静岡のそれは主催者であった。私は実はアナキズムや大杉栄については、ほとんど関心はなかった。
 学生時代、伊藤野枝についてはなぜか彼女の文や関連した本を読んだりしていた。私はその生きる姿勢、みずからの運命を切り開いていく生き方に感動し、全集を買ったりしていた。
 その頃つきあっていた伊藤さんは福岡出身であった。彼女とは、大学の中ではいつも一緒にいた。彼女はたばこを吸っていた。男が吸っているのに、女が吸っていけない理由があるの?とか、男性に対する対抗心をいつも燃やしていた。ラーメン屋に入ったとき、私が払おうとしたら、私はおごってもらいたくはない、と強く主張した。しかし彼女はしばしば弁当を作って持ってきてくれていた。だから、といってもきかない。弁当は私がついでにつくっているのだから、と主張した。彼女は辛いものが好きで、弁当も辛く、ラーメンを食べるときも、何度も胡椒を振りかけていた。強くありたい、強く生きていきたいという彼女の生き方のなかに、私は野枝をみていた。
 彼女とは、大学を卒業してから別々の人生を歩み、自然に遠のいていった。

 静岡には、1923年9月16日に虐殺された三人の遺骨が埋葬された墓がある。最初は杉山金夫さん、そして市原正恵さんが、墓前祭を主催し、私はときどきその手伝いをしていた。

 2003年をめどにその墓前祭は中断された。大杉らの遺族がほとんど他界したりしたからという理由などからであった。しかし2013年を前にして、再開したいと市原さんは語っていた。私は市原さんのそのことばを聞いていた。だが、市原さんは2012年に亡くなってしまった。さてその墓前祭を誰が主催するのか。私はやむなくその遺志を尊重し後継者となった。本当は静岡市やその周辺に住む人がすべきだと思っていたのだが・・・。

 主催する中で、いろいろな方たちとの新たな出会いが生まれた。今まで出会ったことのない、墓前祭を主催しなかったら知ることのなかった方々と交流し、学ばせてもらう。そのなかで、私は大杉栄の全集を買った。大杉とも出会ったことになる。

 今、私が関心をもっているのは、彼の「相互扶助」の思想だ。クロポトキンらの思想を受け継いでいるのだが、現代に於てはその「相互扶助」が、すごく重要になっていると思う。

 それは相模原事件に大きなショックを受けたからだ。障がい者の問題も学生時代から、井出君との出会いの中で関心をもってきたものだ。大杉の「生の拡充」と「相互扶助」。

 大杉の「生の拡充」とはまったく異なるが、私は『新版 海のいる風景』のような本を読んだり、障がいの問題を考える中で、私自身の人間観が鍛えられるという思いをもつ。それは私にとって「生の拡充」なのだ。そして実際人間は「相互扶助」のなかで生きているし、それなしには生きていけない。人間の「生の拡充」と「相互扶助」がうまく結合しないだろうか、と考えている。

 いろいろな出会いのなかで、人間は成長する。それが再認識させられたこの二日間であった。

 木曜日、障がいを持った方々(大人)の前で、月一回いろいろなことを話す機会がある。先月は、アニメの「どんぐりの家」を見てもらった。私は、この映画をいつみても涙が出てしまう。だから一言も話さないで終わりにした。またその機会がやってくる。私は、『新版 海のいる風景』について話すつもりだ。

 なぜなら、その本のなかに出てきたこと。

 “お母さん 障害のある人たちって、この世に生きていて、いったい何の存在価値があるんだろう”という高校生の問いに、母親は、“あの人たちがいるから、五体満足で生まれた私たちはそのことのありがたさがわかるでしょう”と答えたという例。

 前回、それは「どんぐりの家」をみた一人の男性が、語ったことばでもあった。

 私は、“人間の尊厳”について考える。“人間の尊厳”について、考えて欲しいと思う。だから私は、語らなければならない。

 「どんぐりの家」との出会いは、自らの健康を確認するためのものであってはいけない。
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【本】児玉真美『新版海のいる風景 重症心身障害のある子どもの親であるということ』(生活書院)

2016-09-12 08:18:03 | その他
 名古屋への往復の電車の中で読み続けた。そして今朝残されていた部分を、朝食も摂らずに読み続けた。

 人間の精神は、何歳になっても、死ぬまで成長を続けるものだとおもう。その成長は、人との邂逅によってもなされるが、本との邂逅によってもなされる。この本は、私自身をさらに成長させてくれた。

 内容も、感想も書かない。ただこれは読むべき本であるということだ。

 重度の心身障がいをもった児玉さんが、その子どもである「海」さんとともに、人間として必死に生きてきたその姿が赤裸々に語られている。まず読んで欲しいと思う。
コメント (1)
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