今は亡き批評家・林達夫に次のような指摘がある(「反語的精神」)。
私は天皇制の歴史は、天皇の利用者の歴史だと考えている。つまり、利用者が、その名目はなんであれ、天皇制というものをほどよく強化したり弱化したりして、彼らのためにこれを存続せしめてきただけのことである。天皇史とは逆立ちしたその利用者の歴史であるに外ならない。
日本史を学んで著しく目につく一事は、天皇の「尊厳」の前に最もうやうやしく額づくべきはずの側近者グループが、いつの世にも例外なく、いちばん不逞で、いちばん冒涜的なことであります。ほとんど傍若無人なこともしばしば見受けられるが、少なくとも慇懃無礼であることを常とする。
さて本書はそうした「側近者グループ」の話ではないが、ひとつ指摘しておかなければならないことがある。現在、女性天皇を認めるかどうかということが政府内で議論されている。そのために「有識者」とよばれる方々が招かれ、それぞれがそれぞれの主張をしている。しかし、「有識者」といっても、気象予報士とか、安倍政権以降声を高めているネトウヨと近似する意見を持つ者が集められている。まさに天皇制の「利用者」たちがみずからの意に沿うようにするために「不逞で、いちばん冒涜的なこと」をしでかしているのである。
歴史上、古代日本には、皇極=斉明、推古、持統、元明、元正、孝謙=称徳という女性天皇が存在している。彼女たちは「父系直系継承の「中つぎ」」として皇位に就いていたと理解されてきた。しかし義江は、史料の検討にもとづき、「中つぎ」では決してなく、十二分に力を持った存在として豪族らに推挙され皇位に就いたことを立証していく。
天皇制に否定的な意見を持つ私としては、みずからの孫を皇位に就かせるべく「天孫降臨」神話を創出した持統など、その政治に厳しい判断をしているが、しかし客観的には支配階級の豪族層が支持し皇位に就かせたほどの力を有していたことは間違いのないことである。
史料にもとづき、史料をもとにした多くの研究を土台にして、古代王権を担った女性天皇の存在を明確に描いた本書は、現在の女性天皇論を考える際の基本的文献となるであろう。
きちんとした勉強もしないでネトウヨ的な思考を身につけた「有識者」を招いて、現政権の思い込みに調和的な制度をつくろうとしている「側近者グループ」の“恣意”に、安倍、スガ政権の反知性・非知性(知性を持たない)の本質をみる。