某機関紙に載せたもの。
セウォル号事件 2014年4月16日、全羅南道珍島郡の観梅島沖海上で転覆・沈没したセウォル号の事件を覚えているだろうか?セウォル号には修学旅行中の高校生らが乗船していたが、一般乗客含め、295名が亡くなり、9名が行方不明となった。そのなかで船長ら乗組員らは真っ先に避難した。乗客には「じっとしていなさい」と言いおいたまま。
その後セウォル号は傾き、沈没した。その様子がテレビで放映され、韓国国民はその一部始終を目撃した。
この事件後、次々と新たな事実がでてきた。セウォル号は20年近く日本で運航されていた老朽船であったこと、その老朽船を多くの客と貨物を積むために改造し船の重心は高くなっていたこと、さらにセウォル号の船長は契約社員、一等航海士と操機長は出航前日に採用された者だったこと、4月15日夜、霧が立ちこめていたことから他の旅客船は出航を中止したが、出航したのはセウォル号だけだったこと。
セウォル号は全斗煥政権と癒着して事業を拡大してきた清海鎮海運所属で、今までも不正運航を何度も繰り返していた。利益至上主義で、人件費削減のために不安定な雇用に依存する会社であった。
そしてとりわけ重要なのは、沈没の危機に陥っているのに、国家は救う手だてを講じなかったことである。一隻の海洋警察の警備艇が来て、船員らを救出しただけだった。乗客は救わなかった。救難艦も、海軍の船舶も来なかった。政府は、全力を挙げて救助活動を行っていること、救助隊員726人、艦艇261隻、航空機35機が投入されたと、メディアに報じさせた。しかしそれはすべてウソであった。
修学旅行中の高校生はじめ乗客らは、船会社から、そして国家からも見殺しにされたのだ。
コロナ禍の日本 「じっとしていなさい」という言葉、これはコロナ禍で政府や自治体から何度も何度も繰り返されてきた。「不要不急の外出はひかえて」、「セルフ・ロックダウン」・・・・。そして感染者が増えると、皆さんが動き回るから拡がるのだ、と政府・自治体は国民を非難する。政府・自治体はただ「口」をつかうだけだ。
新型コロナウイルスのような感染症への対処は、感染者をPCR検査によって見つけ出し隔離・治療して感染していない人への感染をひろげないことがまずなすべきことだ。現在でも自分自身が感染していることに気づかないままの無症状感染者は多く、かれらを見つけ出さない限り感染者はなくならない。しかし政府はPCR検査を今もって抑制している。
日本政府や自治体が行っていることは、まさにモグラ叩きだ。感染者がでると「濃厚接触者」と認めた人びとだけに検査を行う。だが、感染者がどこに出るのかはまったくわからない。まさにウィルスの自由な跳梁を許しているのである。現在では、感染者が増えすぎて、「濃厚接触者」の検査すらできない状況だ。
スカ=自民党・公明党政権は、ワクチン接種に期待をかけているようだが、ワクチンは不足し、ワクチン接種後に感染する人も増加している。ウィルスも生存を賭けて日々変化しているのだ。ワクチンだけでは新型コロナウイルスは抑えられないことはすでに明白である。私は、ワクチンのみをコロナ対策としている日本政府は、アメリカに多額のカネを貢ごうとしているのではないかとも疑っている。モデルナも、ファイザーもアメリカ企業である。
スカ=自民党・公明党政権のコロナ対策は、無為無策、さらにGO TO キャンペーン、東京オリンピック・パラリンピックの開催強行に見られるように愚策で一貫している。要するに、スカがみずから記者会見で言明したように「感染拡大を最優先」(8月17日)しているのだ。
「じっとしていなさい」と政府はいう。しかしじっとしていては生活できない。働かなければ食べていけないのだから。補償もせずに「じっとしていなさい」、この言葉は、現在の日本政府の本質を表す。つまり私たちを、沈みゆくセウォル号のなかに閉じこめておくということだ。要するに、日本政府は、国民にはカネを出さない、救出することはしない、見殺しにするということだ。
私たちは セウォル号に乗っている! 感染者数が急増したために、多数の感染者が「自宅療養」とされている。「療養」とは、「治療と養生」を意味する。しかし治療はいっさいなされていない。「自宅療養」という官製用語の本質は、「自宅遺棄」、あるいは「自宅棄民」なのだ。「軽症」「中等症」「重症」という区分もつくられているが、「軽症」は決して「軽症」ではない。熱が40度近くとなると、ほんとうに苦しい、それが数日続くだけでもとても苦しい。にもかかわらず、コロナはさらに長期間発熱などの症状が続く。それが「軽症」と書かれる。「中等症」は「危篤」に近く、「重症」となったら死と隣り合わせということだ。
病気になっても医療を受けることができない現実が今目の前にある。政府も自治体も、感染者を減らすような具体的な対策を一切しない。感染者に医療も与えない。なぜコロナ専用の臨時医療施設をつくらないのか。
他方で政府が動くこともある。たとえば「アベノマスク」。何の役にも立たないウィルスを素通りさせる代物だ。これを請け負った業者の一つは公明党系だった。またなぜか陽性者の検査には、PCR検査ではなく、性能が疑われている抗原検査キットが使われている。それを製造する富士レビオは安倍晋三の「アベ友」だと言われている。日本政府は、利権につながらないところには税金を投入しないということなのだ。
見殺しにされる前に セウォル号の乗客は、一切の救助活動がないままに、海中へ沈んでいった。日本列島に住む庶民も同じ状況にある。
最近、セウォル号で見殺しにされた高校生の親の喪失感を描いた韓国映画『君の誕生日』を見た。ひとりの人間が亡くなるということの悲しさ、重さを問いかけていた。
今、日本ではコロナでの死亡者数が毎日報じられる。政府にとってはそれは数でしかない。しかし私たちにとっては数ではない、ひとりの身近な存在なのだ。そしてそれはきちんとした対策をとれば亡くなることがなかった存在なのである。
セウォル号乗客を見殺しにしたとき、韓国は朴槿恵政権であった。韓国の市民は、朴政権に対して粘り強い「ろうそく・デモ」を展開して、政権を倒した。国民を見殺しにする政権は倒さなければならないのだ。危機管理能力のない、国民を見殺しにするスカ=自民党・公明党政権も同様だ。
「じっとしている」わけにはいかない。倒すしかない、見殺しにされる前に。