本書は、1958年に刊行された。私が購入したのは16刷、1973年のものである。購入したときに読んでいたはずだが、まったく記憶にはなかった。しかし、安倍某がこれを読んでいたようで、菅某がその中から伊藤博文が亡くなったときに詠んだ歌をの弔辞の中に引用したことから、注目された本である。
山県については、日本近代史を語るときには必ず登場する人物である。とりわけ、外征型軍隊の創設、官治的な地方「自治」制度など、いまにつながる非民主主義的制度の構築に、山県は「功績」があった。
このほど私も再読してみた。その際、安倍某が山県のどういうところにひかれていたのかを考えながら読んでいった。
やはりまずこれだろうと思ったのが、「烈しい権力意志」である。
「彼らの政治支配は、彼らの権力意志を満足させるだけではない。支配的地位をあくまで守りつらぬくことこそ、彼らの信念によって真に義とされるのである。そのことは、彼らの闘志を鼓舞する。そして、彼らを狂暴にさえもする。」(38)
山県はこうも語ったそうだ。「人間は権力から離れてはならない。それ故、自分も権力の維持に力を尽くしている」(111)
なるほど、ときに困難にぶちあたるとあっさりと政権を放棄するが、しかしそんなことを気にかけることもなく、再び政権の座を狙う執念のようなものを、私はアベ某に感じていたが、それは山県から学んだのかも知れない。
山県が近代「地方自治」制度を成立させたが、その趣旨は「地方自治制は、国民の「公共心」を育成し且つ行政に協力するに必要な「智識経験」を国民に得させ、・・・・」(41)とあるように、「自治」をみずから治めるというのではなく、人びとを行政に協力させること、それが「地方自治」であるという実態を日本の庶民に植えつけた。それは戦前の制度ではあるけれども、しかし存続している。
また軍備拡張を推進させたのも山県であった。彼は「主権線」(国境)と「利益線」(国境=国土を守るための支配地域)を主張したが、「利益線」を「開張」することを主張した。これもアベ某がやろうとしたことであった。それを岸田が嬉々としてやろうとしている。
山県は地租の増徴を実現するために、議員たちをだまらせる、その方策は議員歳費の増額である(78)。山県は、1898~99にかけての第13議会で歳費を800円から2000円にあげた。議員諸君は、それにより地租増徴案を通した。議員なんてそんなもの。
山県の性格として「陰険」だとあるが、これもアベ某の一面であろう。
山県の天皇観についてこう記されている。
「彼が尊崇したのは、理念化された天皇にほかならない。従って、実在の天皇が彼の抱く理念像から離れている場合、彼の態度は恭謙ではない。」(121)
支配層の面々、それにウヨクといわれる人びとは、ほとんど同じだろう、生身の天皇を尊崇するのではなく、みずからがこうあるべきだと考える天皇を尊崇するのである。これは変わらない、幕末維新の際、大久保らはそのように行動している。天皇は利用できる限りでの天皇なのだ。
末尾、山県と民衆との関係。山県の葬儀(「国葬」)は寂しい限りであったそうだ。
民衆は、彼にとっては、支配の単なる客体にすぎず、従って、彼の権力意志は支配機構を掌握することへと集中されたのであった。彼は終始民衆から遊離したところの存在であった。彼から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。そして、彼の死に対しても冷ややかであり、無関心であったのである。(194)
アベ某の葬儀はどうだったろうか。メディアやSNSで煽られた民衆は嘆いていたのだろうか。
『山県有朋』を読んで、山県なるものは平和や民主主義にとってよいことをしなかった、と思った。それはアベ某も同じである、というのが結論である。