『世界』今月号、8月号の特集が、「ジャーナリズムの活路」である。果たして日本のメディアに活路はあるのかと問うとき、私は否定的である。
依光隆明の「ジャーナリズムはどこに息づくか」に、「公権力と同化したプロパガンダ」(花田達朗氏のことば)があった。私は、日本メディアは、そうなってしまっているという認識を持っている。
元首相への銃撃事件の背景に、統一教会によるカネ集め(その額は、きわめて高額である)がある。たとえば、被害弁連によれば、統一教会の教組である文鮮明のSignがある本が、何と一冊3000万円だという。それを信者に複数買わせるというのだ。こうしたことによって、家庭が崩壊した事例はたくさんある。
だが、日本メディアは、統一教会が懇談会(記者会見ではなく、協会がセレクトしたメディア関係者しか参加させなかったから)を開催したら、やっと統一教会の名を出すようになった。
これからは、この事件を解明するためには、元首相をはじめ、自民党の政治家と教会の関係を歴史的にきちんと報じていくことである。そして教会が、どれほど悪事を働いてきたのかを報じることである。
しかし「公権力と同化したプロパガンダ」機関となっている日本メディアは、そういうことをしないだろう。