今日の『中日新聞』東海本社版の一面には、次のような記事が載った。
事件当時、中日新聞社は袴田巌さんを犯人と断定する報道をしていました。袴田さんと家族の人権と名誉を傷つけたことを深くおわびいたします。
袴田さんは逮捕後、否認を続けていましたが、逮捕から20日目、2回目の拘留期限の3日前に自供を始めたとされています。本紙は1966年9月7日付朝刊の静岡県の地域版で、「自供で肩の荷おろす清水署 異常性格に手こずる」と報じました。袴田さんが逮捕前、本紙記者に「私は事件に関係ない」との子手記を寄せた内容の別の記事には「全くの二重人格者 ニセの手記書いた袴田」との見出しを付けました。翌8日付朝刊には「凶悪犯人の袴田巌」という説明で袴田さんの顔写真を掲載しました。
逮捕段階では罪が確定していないのに、袴田さんを「犯人」として報道したことで、冤罪を生んだ責任の一端は免れません。
中日新聞社は2009年、容疑者を犯人と決めつけない「事件報道ガイドライン」を策定しました。今後も予断や偏見を排した冷静な報道を続けてまいります。
当然の謝罪である。数々の冤罪事件、メディアが警察の情報をみずから検証もせずに垂れ流したことが、冤罪を生みだし、犯人でもない人間を犯人視させる大きな要因になっていたことを、真摯に反省すべきである。
わたしも静岡県の冤罪事件のひとつ、幸浦事件を書いたことがある。当時の新聞を調べたが、警察発表をそのまま書き、さらにそれにお墨付きを与えるような報道がなされていた。
驚くべきは、幸浦事件も冤罪事件として確定しているが、地域の人びとが、今もって「犯人視」していることを知って愕然としたことがある。メディアの報道は、そうした社会的な意識もつくりあげることを肝に銘じるべきだ。