浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

本を読むこと

2017-10-12 09:36:42 | その他
 古本屋から購入した『伊藤野枝全集』。読み進めると、消しゴムの消し滓がいろいろなページにくっついている。そして所々にルビが振ってあったりする。古本屋に売るときに消したのだろうなと推測する。

 野枝もたくさんの本を読んでいる。

 並行して『かつて10・8羽田闘争があった』を読んでいるが、すべての人ではないが、いろいろな本の書名が記されている。ベトナム戦争に思いを寄せ、アメリカ帝国主義により侵略され殺傷されるベトナム民衆の苦しみを想像し、それに日本が加担する現実に怒りをもった人々。

 とにかく、運動をしながらも、本を読み、みずからの生を問い、社会をどうするべきかを考えた。そうした人々が、街頭に出た。

 さて、10・8の事件は、1967年であった。この後の学習指導要領の改定によってクラブ活動が「必修」となったのである。学校によっては従来の自主的なクラブ活動と必修クラブと分けるところもあったようだが、多くは一元化し、運動部への参加を半ば強制するようになった。教科外の活動をやらせることによって政府は二つのことを目的にした。一つは子どもたちの時間を奪うことだ。考える時間、本を読む時間をなくすこと。もう一つは、教科外活動を通して教員との結びつきを強めて学外での「妄動」に参加させないようにすることだ。

 かくて、本を読まない子どもが増えていった。それとともに、保守的な思考をもった「若者」が増えていった。

 往々にして、部活動をしている子どもは本を読まない。そんな時間がないのだ。読書体験を経ないで大人になっていく。だから本のセレクトの方法も身についていないから、店頭にある本を何気なく購入し、読む。

 先にノーマンのことばを引いて、本のセレクトについて書いたが、本を読む場合セレクトする方法がある。しかし多くの若者(といっても部活動世代はもうかなりの年齢になっている)はそうした方法も知らずに、読むと言っても数少ない本を適当に選んで読む。

 本を読まなければ、知性は磨かれない。しかし本によっては、知性を破壊するものもある。

 知性の破壊は、支配層の常套手段でもある。

 そうした時代に生きているのだと思う。

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