ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県鹿角市、十和田末広沖ノ平「大欠千手観音堂のケヤキ」(市指定)です!!

2023-07-26 18:35:00 | 巨樹・大木
 十和田末広沖ノ平地区は、鹿角市役所の北西約6km、鹿角市役所十和田支所の南西約5kmのところ

 鹿角市十和田支所前から国道282号線を南へ、約600mの「上陣馬」信号を右(南西)へ国道103号線です

 道成に約4.6kmで右(北西)へ

 約200mで右前方にスギの木の間にケヤキの樹冠と観音堂の背中が見えました

 消防屯所手前の道路脇に車を止めさせて頂きました(一度集落を廻って来ましたが車を止める所が有りませんでした)

 観音堂南側の垣根の脇を入ります

 間も無く右手に目的のケヤキです

 南西側から、ケヤキの下に青く塗られたバスが止まっています

 北西側に鳥居です

 鳥居前(北西側)から

 北東側から

 バスは図書館になっています、今日は休館日かな

 「大欠千手観音堂の大ケヤキ」の鹿角市指定天然記念物標柱です、文面には・・・
 千手観音同のすぐ側に立ち、昔からご神木として崇敬されてきたこの大ケヤキは、遠方からもはっきりと見え、地域のシンボルとなっている。
 樹高約25m、目通り幹囲約5.2m、樹齢は250年以上と推定される。
 
 南西側根元から見上げました
 
 南東側から

 北東側から

 東側から

 ケヤキの下の御堂です

 観音堂です

 石碑が並びます

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県鹿角市、十和田末広向イ平「不動明王神明社の親杉」(市指定)です!!

2023-07-26 12:49:00 | 巨樹・大木
 十和田末広向イ平地区は、鹿角市役所の北西約5km、鹿角市十和田支所の南西約6kmのところ

 (鹿角市役所からでは、間に山が有るため約9kmの所となります)

 鹿角市十和田支所前から国道282号線を南へ、約600mの「上陣馬」信号を右(南西)へ国道103号線です

 約2.54kmの「鹿角市神田」で左(南)へ、約300mでJR花輪線の踏切を渡って直ぐに右(西)へ

 道成りに約2km花輪線沿いを進みます、末広郵便局の先の横断歩道の所を左(東)へ

 不動明王神明社大鳥居跡の石柱が建っています

 間も無く松壽庵の南側から狭くなった道路を進むと花輪線の踏切を渡ります

 砂利道を進むと南側の山裾に鳥居が見えました

 鳥居前に車を止めさせて頂きました、左端の白い建物の右にJR花輪線の末広駅です
 (はじめカーナビの案内で進んだら末広駅前に案内されてしまいました)

 大きな不動明王神明社の鳥居です

 傍らには神明社大鳥居の移転記念碑です
   神明社大鳥居移転記念碑
 文政13年(1830)8月、今から157年前建立の大鳥居は私達先祖が、十二代皇紀の長い歴史の足跡を残して今、平成元年に終止符をうって移転することになった。
 回顧すれば村の鎮守である神明社は、村社として幾多の変遷を経ている、大鳥居もまた社殿と共に村民の信仰の中心として、朝夕之れを仰ぎ、天下泰平、国家安全、村の平穏と村の繁栄を、心のよりどころとして先祖が建立したものである。
 村民一同は、先祖の遺産として、一致協力これを継承し、春秋二回の祭典を催し、先祖に感謝の誠を捧げてきたものである。
 此の度、去る(昭和)59年実施の地籍調査に依り、不動明王社松壽庵共通の道路の一部が個人所有地編入となり、鹿角市役所を交じえて三者間の話し合いも賛同を得られず、去る10月部落臨時総会に於いて移転について協議の上、先祖の意志を心として村民一致協力、村の平穏と発展のため部落民一同ご賛同の上、当地に移転建立のはこびとなった。
   平成元年11月28日  松山部落自治会


 北西向きの参道石段を上りましょう

 北西向きに「駒形大明神」の社です

 左へ参道へ進んでいきます

 参道右手に目的の「親杉」が見えて来ました

 西側から見上げました

 天然記念物「神明社親杉 1本」標柱です、文面には・・・
 末広向平の神明社は、地域の鎮守として信仰を集めてきた。
 樹高約30m、目通り幹囲6.1m、樹齢600~700年といわれる。
 人々は大杉と呼んで親しんできたものである。枝張りもたくましく、樹勢も盛んである。

 北側から

 東側から

 参道石段の先に社殿が見えました

 手水舎です


 威厳のある狛犬です

 北西向きに拝殿です


 本殿です

 拝殿前から「親杉」を見下ろすように見ました

 では、次へ行きましょ
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秋田県大館市、十二所水上「別所大日神社の三本マッカの杉」(ふるさと探訪名木)です!!

2023-07-26 06:37:00 | 巨樹・大木
 十二所水上地区は、大館市役所の南東約15km、大館市役所比内総合支所の東約10kmのところ

 大館市役所比内総合支所前(道の駅ひない)から国道285号線を北東へ進みます

 約800mの「扇田」信号を右(東)へ、米代川とJR花輪線の線路の間を約7.4kmで道路左手に「吉成屋の樅」の木を見て

 約600mで「右方向大型車通行困難」で右(南)へ「ハチ公のふるさと 別所⇒」へ入ります

 約1.2kmで県道66号線に合流して更に南へ約500mで別所集落入口の右側に

 大日神社が東向きに鎮座します

 北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 入口の杉の大木です(環境省データベースの目通り幹囲4.2mの杉はこれか)

 北側から見ました、合体木で東側の一本が倒れてしまっていますが、残っていれば境内一番の杉だったかも知れません

 北側に祠には「赤鬼様」(道祖神)です

 ふるさと探訪並木名園名木保存事業の標柱です、「三本マッカの杉」は社殿前に在る三本の杉です

*所在地に表記されている「字堂ケ下」はGoogleマップでは出て来ませんでしたので「字水上」とさせて頂きました
 
 道路から社殿前境内の「三本マッカの杉」を見ました

 スギ並木の間に鳥居です、この参道は現在は使われていません

 南側の参道を進みます

 ニノ鳥居でしょうか

 鳥居を潜ると正面に「三本マッカの杉」の内2番目に太い杉、目通り幹囲5.5mの巨木です

 境内中央に一番太い杉、目通り幹囲6.4mの巨木です


 社殿です

 説明版です
   別所大日堂
 別所大日堂は神亀5年(728)僧の行基が自ら一木三体の阿弥陀如来を刻し、本のものを八幡平大日堂へ、下のものを独鈷大日堂へ、中のものを別所のご本尊として納め創建したものであると伝えられている。
 その後、享保13年(1728)別所70戸、中岱村(今の三哲神社下宮付近)4戸をはじめ、十二所、沢尻、葛原、猿間、浦山、軽井沢、平内、大滝、独鈷から寄付が集まり改築された。広範囲に信仰する人が多かったことが明らかである。また、明治34年(1901)に再改築している。
 ご祭神は天照大御神とされており、例祭は旧3月18日となっている。
 境内には、赤鬼様(人形道祖神)が祀られ、部落の入り口から災いなどが入り込まないように守護神として長い間守ってきた。
 また、三本マッカの杉(三頭木)の巨木(推定樹齢400年、樹高20m)が聳え立っている。その後、台風により内一本の幹が倒木したが、これに若木を接いだものが未来へ向かって今も力強く育っている。
「関連事項」
 八幡平大日霊貴神社(通称:小豆沢の大日堂)は、養老2年(718)行基により再建、その時楽人を招いて祝賀の舞楽が奏された(これが今に伝わる大日堂舞楽である)。例祭は、旧1月8日
 独鈷大日堂は神亀2年(725)行基により再建、大日如来が安置された。例祭は旧5月28日
     令和3年10月   十二所再発見探訪隊
*八幡平大日霊貴神社は、ここから南東に約15kmの鹿角市八幡平です
*独鈷大日堂は、ここから西に約7kmですが、間に山がありますので比内総合支所の前を通って約16kmです

 北東側から見ました、左側の杉が三本目の目通り幹囲4.5mの杉の大木です

 神馬舎です

 天神宮の石碑です

 こちらの境内社の御名前はわかりませんでした

 では、次へ行きましょう
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秋田県大館市、十二所上城「吉成屋の樅」(ふるさと探訪名木)です!!

2023-07-25 18:47:00 | 巨樹・大木
 十二所上城地区は、大館市役所の南東12km、大館市役所比内総合支所の東約8kmのところ

 大館市役所比内総合支所前(道の駅ひない)から国道285号線を北東へ進みます

 約800mの「扇田」信号を右(東)へ、米代川とJR花輪線の線路の間を約5.4kmで天空の松入口を過ぎて

 約2kmで道路左手にモミの木が見えて見ました

 手前右側の「成章書院跡」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 南西側から

 南南西側から

 「吉成家の樅」ふるさと探訪並木名園名木保存事業の標柱です

 南側から、根元は板塀のため見えませんが、目通り幹囲5.3mの巨木です


 西側から

 西北西側から見上げました

 成章書院跡を見て行きましょう

 駐車場(南側)から見ました

 大きな石碑が建っています

 説明版です
   成章書院之址
 成章書院は寛政5年(1793)8月2日秋田の御学舘(後の明徳館)の申渡しにより創設され、同日付けで教授に塩谷頼母、大森金吾の2人が、教授見習に他の5人がにんめいされた。
 創立当時は郷校と呼ばれたが、寛政10年(1798)に御学館から正式に「成章書院」と布告された。「成章」の語は論語から採られたもので、その意味は「美しいあやのある文章を作る」である。
 寛政12年(1800)7月17日、第9代秋田藩主佐竹義和公より直筆の「成章書院」の書が下賜になった。
 御学館からは、提学(毎年)や督学(数年に一回)が派遣されて、それぞれ人事、指導監督、学習指導及び学業試験等が実施されたが、成章書院は他に比べて生徒の風紀も厳正であり、勉学も熱心で成績もよく、職員の勤務状況も極めて良好であると御学館における評価が高かった。
 また成章書院で学んだ武士たちには学塾を開いて町民に教える者も多く、そのため十二所では、好学の気風が盛んになった。
    令和元年8月1日 十二所史跡保存顕彰会  十二所自治会
    令和3年10月  十二所再発見探訪隊

 では、次へ行きましょう
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秋田県大館市、十二所「大滝温泉の三頭木(天空の松)」です!!

2023-07-25 12:56:00 | 巨樹・大木
 十二所地区は、大館市役所の南西11km、大館市役所比内総合支所の東南東約5.5kmのところ

 大館市役所比内総合支所前(道の駅ひない)から国道285号線を北東へ進みます

 約800mの「扇田」信号を右(東)へ、米代川とJR花輪線の線路の間を約5,4km進みます

 温泉施設湯夢湯夢(とむとむ)の里の先の交差点に「天空の松・右折松まで2km」の案内板が出ています

 南へ入って花輪線の踏切を越えて南へ

 約800m「日本アンホ火薬製造大館工場」の南端を右(南西)へ

 林道上木沢線へ入ります

 砂利道を進むと、「天空の松」入口です

 貸出用のストックのようです、(自分のストックを持って行くことにしましょう)


 駐車場は30m程先です(実際は100mくらい先でした)

 水場ですね、この沢の上流に天空の松が在るようです


 広場になっています駐車場(?)を利用させて頂きました

 ここからジグザグに山路を登って行きます、標高差は180m程です

 熊出没注意です

 右へトラバースするように進みます

 左へ高度を稼ぎますこの辺で200m位い進んだでしょうか

 右へ、緩く左へカーブして進みます

 そろそろ400mを過ぎました

 杉林が明るくなって来ましたかわりに下草が伸びて来ました

 林を抜けて左上を見ると大きな松の樹冠が見えました


 天空の松です

 深い草を踏み分けて、刺の有る植物が多いので注意して進みます

 5月中旬までなら、こんな苦労はしなくて良かったみたいです


 西側から見ました
.
 大きな説明版があります
   大滝温泉の"三頭木"
     天空の松
 600年ほど前からこの地を見守って来たアカマツは、1本の幹が2本になり、2本の幹が3本になり、それぞれの幹が太く高く天に向かって伸びています。
 「鶴の湯」との云われがある大滝温泉で、怪我をした鶴が傷を癒し、この赤松から天へ飛び立ったと言い伝えもあるそうです。
 神が宿るといわれている"三頭木"がこの地に根付いたのにも何か神秘的な言い伝えがあるのかもしれません。
 「神の木」といわれるこのアカマツから、言い表すことの出来ないパワーを感じます。


 西側麓は草丈が低くなっていました、雪が遅くまで残っていたのかもしれません

 西北西側から、幹にはまだ菰が巻かれたままになっています、目通り幹囲5.8mの巨木です


 北西側から

 足元にはオダマキの群生が有りました

 黄色い小さな花はキンポウゲでしょうか

 戻って、次へ行きましょう
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秋田県大館市、比内町独鈷「天照大神社のスギ(二本)」です!!

2023-07-25 06:29:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年6月9日取材分です

 比内町独鈷地区は、大館市役所の南南東約13km、大館市役所比内総合支所の南南東約6kmのところ

 大館市役所比内総合支所前から県道22号線を南南東へ道成りに進みます、約6.5kmで県道右側にバスの転回所が在ります、

 すぐ手前を右(南西)に入ると天照大神社の参道です、杉林の上に古木感のある杉の梢が見えています

 すぐ先にの道路脇に車を止めさせて頂きました

 田圃道に成りますがまだ進みます

 住宅の陰に鳥居が見えて来ました

 天照大神社の両部鳥居です

 鳥居を潜って右に山道を進みます

 木段になっています

 登り切ると「縄文時代中期 先住民族の遺跡」の標柱が立って居ます

 北側には何もありませんね~

 南東側にニノ鳥居が見えました

 ニノ鳥居です

 先に社殿が見えました

 横側から天照大神社の社殿です

 社殿前(東側)に目的のスギです

 北西側から

 南西側から

 社殿を東側正面から見ました

 梵鐘が軒下に下がっています

 南東側から

 東側から

 南側の一本を北側から

 西側から

 南西側から

 二本を南西側から見ました



 社殿の南西側のは八幡大神・愛宕神社・鹿嶋神社の石碑が並びます


 南側の広場の先には「御大禮記念碑」です

 では、戻って次へ行きましょう
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秋田県大館市、二井田高村「高村神明社のケヤキは伐られてしまっていました」です!!

2023-07-24 18:35:00 | 巨樹・大木
 二井田高村地区hあ、大館市役所の南南西約5kmのところ

 大館市役所前信号を南へ、約200mで二つ目の信号を南西へ、約500mで標識に従って「十和田」方向の左(南)へ

 約1.8kmで右(南西)へ、JR花輪線の踏切を越えて丁字路を左(南)へ米代川を二井田大橋で渡って

 約1.1kmで左(南)へ細い道に入ります、道成りに進むと

 北東向きに高村神明社が鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 神明社の社號標です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 神馬舎です、二頭の神馬像が並んでいます

 金山神社の石碑です

 社殿の東側に大きな切り株が有ります、中心部に腐朽が進んでいたようですが、伐られて間が無いようです

 境内端にはケヤキの枝がまとめられていました

 では、次へ行きましょう
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秋田県大館市、出川上沢岱「出川の欅(いでがわのけやき)」(市指定)です!!

2023-07-24 13:07:00 | 巨樹・大木
 出川上沢岱地区は、大館市役所の南西約6kmのところ

 国道7号線を西へ進みます、約2.2kmで「大館消防署前」信号を左(南)へ、県道102号線です

 約1,5kmで米代川を田中橋で渡って約200mの交差点を右(北西)へ

 約400mの新潟運輸大館支店前の交差点で左(南西)へ

 道成りに1,8km進んで県道52号線を右(西)へ、また約200mで左(南西)へ

 約400mで丁字路を左(南)へ、約200mの交差点の北東側角に


 目的の「出川の欅」が在ります

 手前に見学者用の駐車場がありますので利用させて頂きました

 北西側から

 西北西側から

 「大館市指定天然記念物 出川の欅 昭和53年3月13日指定」の標柱です

 説明版です
   大館市指定天然記念物
     出川の欅
       昭和53年3月15日指定
     所在地 大館市出川字上沢岱46-1
     所有・管理者 出川部落
 村の言い伝えによると、この欅は樹齢1000年を超え、小松源七という人が植えたもので、板沢八幡神社の欅と板子石山神社の欅と兄弟木であると言われています。
 大正時代初め、所有者 佐藤東吉が「若木山大権現」という神の名をいただいて以来、部落の守護木として毎年旧暦4月8日に祭礼が行われています。
 樹肌に無数発育しているコブは、乳の形をしていることから「乳母の欅」ともいわれ、乳が出ない産婦がこのコブをさすって願いをかけると乳が出るようになるという。また近年は、乳がんの予防やいろいろなことを祈願する「霊木」として、人々から広く信仰されています。
   「欅アラカルト」
 1、太さ    根かぶ回り日本一
 1、幹の回り  17.1m
 1、根かぶ回り 28.4m
 1、主幹の直径  2.5m
 1、樹冠  東西30.0m
       南北28.0m
 1、樹高    25.0m
 1、コブの数 無数(かぞえてみてください)
 1、特徴
 (1)同じ幹から5本の欅が立ち上がり、その樹皮は威容、壮観です。
 (2)横に伸びた太い根株から欅が立ち上がっているのは、全国的にも全くめずらしく、非常に貴重なものです。
 (3)幹の内部は、地上6mまで空洞で、底のほうは、タタミ8畳の広さがあり、神秘で幽玄さが感じられます。
 外観、内部ともにこの巨木の生きぬいてきた長い年月とその重みを感じながら、この霊木に願いを込めたらいかがでしょうか。
   平成元年6月10日
     大館市教育委員会
*板沢 八幡神社は、大館市板沢屋布41、出川の欅の北西約2.5kmのところ、境内にケヤキの木が在ります
*板子石 山神社は、大館市釈迦内塚ノ台1、出川の欅の北東約7kmのところ、境内には木々は見られませんでした

 西側から、東へ伸びる太い根株からも大枝(幹)が立ち上がっています


 枯れてしまった幹には雨除けの傘がかけられています、下側の洞の中には「若木山大権現」の祠が祀られています

 どこでも博物館の標柱です

 プレートです
   出川の欅(いでがわのけやき)
     市指定天然記念物 1978年3月13日
 伝承によると、平安時代に植えたものと言われています。
 樹齢1000年を超えると言われる欅の根元は空洞となっていて、その根元から5本の木が生い茂っています。
 村の入り口に高くそびえ立ち、霊力を持つ木と信じられ、集落の守護木として尊崇されてきました。
 根元の部分にできた多数のコブは乳の形をしていることから信仰の対象となり、産婦が白布で作った袋に白米を入れてコブに供え、家に持ち帰って焚いて食べると母乳が出るようになると信じられています。

 

 南西側から離れて見ました

 南南東側から、根元には多くのコブが見られます


 南東側から、太い根株から立ち上がった幹にも注連縄が掛けられています


 東側から

 石段を上がりました、根株から立ち上がった幹です

 東北東側から、主幹の枯れた幹を真ん中にして若い幹が立ち上がったいます

 幹の間には祠です、中には女性像が彫り込まれています

 「夏草を わけいで河に 日はくれぬ 水ひとむすび ふたむすびして」菅江真澄の歌碑の標柱です
 
 北側から見ました


 広場の祠です

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秋田県大館市、岩瀬下軽石野「御神木のケヤキとイチイ」(市指定)です!!

2023-07-24 06:40:00 | 文化財・樹木
 岩瀬下軽石野地区は、大館市役所の西約9kmのところ(大館市役所田代総合支所の北東約1.5kmのところですが~)

 大館市役所から国道7号線を西へ、約9.2kmで岩瀬信号を左(南)へ

 間も無く右手に市立山瀬小学校が有り、その南側に市立田代中学校のグラウンドが有ります

 グラウンドの南側野球場の道路脇に、「田代町指定天然記念物御神木のケヤキ・イチイ」の標柱が立って居ます

 平成17年(2005)西部の田代町、北部の大館市、南部の比内町が合併して新生大館市となりました。

 手前を、野球場沿いに入ると

 左手(南側)のマツ林の奥に説明版が見えます

 松林の中に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   御神木のけやき、イチイ
    田代町指定天然記念物
      所在地 田代町岩瀬字下軽石野2ノ2
      所有、管理者 田代町
 言い伝えによれば、樹齢600年位と言われ、別名千年けやきとも称される。
 昔は、この木の芽吹きや落葉によって農作物の豊凶や降雪の多少を占ったと言われている。
 また、近くにある二本のイチイも同年代に植えられたものと推定される。
 これらの古木は、神木としてあがめられ、近郷近在の人々が、さまざまな祈願に訪れ、この木の下で・・・合ったものと思われる。
 

 イチイは伏して地を這っています

 二本のイチイが在るようですが解かりませんね~

 ケヤキです

 大きな幹が下草に隠れています、目通り幹囲6.0mの巨木です

 北西側から

 西側から見ました

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秋田県大館市、松峰大山「松峰神社参道の大スギ」です!!

2023-07-23 18:30:00 | 巨樹・大木
 松峰大山地区は、大館市役所の北北西約6km、大館市役所花岡出張所の南西約2kmのところ

 大館市役所花岡出張所前から県道192号線を南西へ、約1.2kmで右からの道路と合流して南へ進みます

 約1.2kmで押し釦信号のある交差点を右(西)へ、約300mの橋を渡って直ぐ右(北)へ

 道成りに砂利道を進むと

 大山(大峯山)案内板があります

 砂利道をジグザグに登って行きます

 大峯神社一ノ鳥居が見えて来ました

 スギ並木入口です

 一番手前左側に目的の大杉です

 北西側から、二本の杉が合体した様なスギです

 北側から、目通り幹囲6.2mの巨木です


 参道を歩く人は少ないようです



 南側から見ました

 菅江真澄の道の標柱です、享和3年(1803)6月27日 松峰山に登る〈にえのしがらみ〉
 「松峰神社:いや高く しげるむら松 峯のこえ 千代ふき伝う 寿の寺」とあります。


 もう少し奥まで車で入れます

 車道左に、参道の大杉に次ぐ大木と思われるスギです

 北西側から見上げました、巨樹・巨木林データベースによる目通り幹囲5.4mの個体と思われます


 手水舎です

 長い参道石段です

 説明版です
   松峰神社縁起
 松峯神社は、言い伝えによれば、平安時代初めの弘仁8年(817)弘法大師によって開基され、金銅の大日如来を本尊とし、四民安全を祈願した。
 弘仁13年(822)には左大臣誠公が御堂を建立したが、天安3年(859)3月3日、当地方を襲った、大地震により、御堂、仏像、その他すべて、埋没してしまった。しかし、寛平7年(895)宇多天皇の御勅願所となり、奉行小野良房が再建した。
 以後五百余年間の状況はつまびらかでないが、室町時代に至り、秋田郡比内庄司となった浅利氏が応永9年(1402)御堂を修復して祈願所とした。
 浅利氏滅亡後、第3代大館城代佐竹義房(万治元年ー1658より27年間)が本尊として千手観音を祭り、真言宗松峰山伝寿院として再興した。その後、本尊が不動明王に変わり、再三火災に会ったが、その都度再建されて幕末に至った。
 明治3年(1870)、維新政府の政策に従い、主神を月夜見命とし、名称を松峰神社と改め、現在に至っている。



 周囲は松峰山信仰遺跡群です

 説明プレートです
  松峰山信仰遺跡群(まつみねさんしんこういせきぐん)
    市指定史跡  2009年5月1日
 松峯神社を中心に古代・中世に縁起を持つ密教遺跡が分布する史跡です。
 松峰山(大山 標高375.7m)には信仰遺跡が多数見られ、参道にスギの巨木が並んでいます。
 807年、弘法大師の開基という伝説を持ち、本尊は不動明王と言われています。
 江戸時代には、松峯不動堂の別当伝寿院が大館城代佐竹氏から扶持(給与)を受けています。
 現在の御堂は、1867年建立。明治政府の神仏分離政策により松峯神社と称することとなりました。
 祭神は月夜見大神、天照大神などです。

 長い石段を上がって来ました、石段を見下ろしました

  社殿です

 境内北端に手水舎があります

 南端にはイチョウの大木です

 社殿南側のカツラの大木です

 
 直ぐ上には薬師堂です

 では、車道を下って次へ行きましょう

 社殿の南側にはカツラの大木です
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秋田県大館市、花岡町七ツ館「信正寺のイチョウ」(ふるさと探訪名木)です!!

2023-07-23 12:28:00 | 巨樹・大木
 花岡町七ツ館地区は、大館市役所の北約7km、大館市役所花岡出張所の直ぐ北西側です

 大館市役所花岡出張所の前の道を北西へ花岡川の土手道を進みます

 約300mで次の橋に所に東向き参道で信正寺があります

 秋田第三十三満願霊場 信正寺です

 境内では大型トラックが入って作業中でしたので、入口脇に車を止めさせて頂きました

 境内へ入ると左手に目的のイチョウが頑丈そうな支柱に支えられています

 「ふるさと探訪並木名園名木保存事業」の標柱です

 北東側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

 本堂前境内中央から見ました

 本堂です

 東側の大枝です

 西側の大枝です

 説明版です
   信正寺由来
 当寺はもと岩本の男神女神の麓にあって、真言宗に属し「森昌寺」と号していた。
 天正の頃、七ツ館のの現在地に移転したと言われている。天正2年(1574)12月、花岡城浅利定頼公が、秋田実季と戦い戦死し、その後、子息の定友公が当寺を再建し、定頼公を開基とする。
 徳川初期には、今の「曹洞宗」に属していたようであるが、その後承応元年(1862)3月25日、大館宗福寺8世快厳存鷹大和尚を請して開山第1世とし、明確に「曹洞宗」として宗福寺の末寺となった。
 本尊は「千手観音菩薩」であり、秋田観音33番の札所である。
 尚「信正寺」の名称は、秋田家の家士、川田治郎信正の名によると言われているが、年代等不詳である。
 この境内のイチョウの老木は樹齢約650年である。

 アブが集まります、エンジンを止めて下さいですって、この辺りのアブの出現は7月下旬からでしょうか

 では、次へ行きましょう
 
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青森県弘前市、鬼沢菖蒲沢「鬼沢のカシワ(鬼神腰掛柏)」(県指定)です!!

2023-07-23 06:40:16 | 巨樹・大木
 鬼沢菖蒲沢地区は、弘前市役所の北北西約10km、弘前市役所親和出張所の西南西約3kmところ

 弘前市役所親和出張所前から、県道37号線を北西へ、約400mで左(南西)への県道133号線へ

 道成りに約2.9kmで丁字路を左(南)へ、約200mで自得小学校前信号の直ぐ先を右(西)へ入ります

 鍵の手に進んで、リンゴ畑の中の道路を西へ登って行くと

 右手に目的のカシワの木が倒れるようになって在ります

 上って来た道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から近付きます

 大山祇神社の祠です

 左手に倒れるように目的のカシワです

 立派な鬼神腰掛柏の石碑です

 説明版です
   県天然記念物
     鬼沢のカシワ
       平成10年4月22日指定
 昔、岩木山の大人(鬼)が、知り合いとなった村人に様々な知恵を授けたり、用水堰を作ってくれたという伝説をもつ。
 その時、鬼がこの木に腰を掛けたとされ、いつの頃からか「鬼神腰掛柏」と呼びまつられている。
   管理者 宗教法人鬼神社
   弘前市教育委員会

*管理者の鬼神社は、ここから東へ約700mです


 北西側から、太い幹が折れた様になっています

 南西側から、枝が支柱に支えられていました

 では、次へ行きましょう


 自得小学校前信号から南へ約800mの道路の広く成った所に、鬼沢名所案内図が有ります、カシワも記入されていました

 頂上付近に雲がかかった残雪ののこる岩木山が見えました
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秋田県大館市、芦田子芦田子南「芦田子のイチョウ」です!!

2023-07-22 18:31:20 | 巨樹・大木
 芦田子芦田子南地区は、大館市役所の北東約5kmのところ

 大館市役所を西に出て国道7号線を北へ進みます、約1.5kmの有浦信号を右(東)へ、県道2号線です

 約1.9kmで下網信号を標識に従って「⇐大館樹海ドーム」の左(北)へ、約500mで右(東)へ、

 ニプロハチ公ドーム(大館樹海ドーム)を左に見て進みます

 約700mで三叉路を道成りに右(北東)へ、約800mで左へ

 右手に大きなイチョウが見えて来ました

 砂利道を右(北東)に入って、西側から見ました、個人宅の裏庭に立っています

 北西側から

 注連縄の巻かれた太い幹が見えました、目通り幹囲6.2mの巨木です

 環境省巨樹データベースで、1988年に登録された市内5本の内の一本と思われます、数値は記載の数値ですのですでに25年の月日が経過していますので、さらに大きく成っていることでしょうね~



 北側から

 北東側の墓地の前から

 東北東側から

 南側へ回って一周してきました

 では、次へ行きましょう
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秋田県大館市、中城「桂城公園のシロヤナギ」です!!

2023-07-22 13:38:57 | 巨樹・大木
 中城地区は、大館市役所のあるところ、庁舎の北側に「大館城跡」が桂城公園となっています

 市役所東側から来たに入って公園の駐車場に入りました

 噴水前です

 北側の駐車場から市庁舎を見ました

 市庁舎の西側に大館城の名残の堀です

 門跡です

 説明プレートです
   大館城大手門跡
 本丸正面の大手門です。中城の土塁と堀のある枡形を通って、橋のかかる内堀を渡った所に有りました。
 長屋形式の櫓のある多門櫓の大きな城門で、門の横に土塁が内堀沿いに東西に連なっていました。西側に高さ5mの土塁と内堀の一部が残っています。
 門の近くに門番所がありました。本丸の大館城代屋敷は城代の居宅と役所からなり、役所には給人(本藩家臣)や家中(城代家臣)が出勤しました。
 戊辰戦争のとき、盛岡藩兵が砲撃し、この門から乱入しました。 ※城門名は諸説あり
 

 大手門の石垣です

 大館城跡復元図です

 西側に目的のシロヤナギの樹冠の様です

 南東側から、目的のシロヤナギです

 太い幹は独特の捻じれた様になっています

 南側から

 柵に説明版です
   日本最大級の
    樹種名 シロヤナギ
      樹齢 200年(推定)
      樹高     21m
      胸高 直径180cm
         幹周 5.7m
 明治35年、大館城本丸跡地に、大館高等小学校が建設された際、当時の校長であった神谷勇三氏が、風による砂ぼこりを防ぐために、シロヤナギを移植したものです。
 生徒たちから「大柳」という名で親しまれておりました。「桂城小学校百周年記念誌」より
 これからもずっと桂城公園のシンボルとして、未来に羽ばたく子供たちの成長を見守りつつ、市民一人一人の心を癒し、優しさと勇気を与えながら、よりよく発展する大館市を見守ってくれることを祈願したい。
    平成18年8月「国際ソロブチミスト大館」寄贈

 標柱です

 説明プレートです
   シロヤナギ
 明治41年(1908)に大館市立桂城小学校にお前進である大館高等小学校の校舎が建てられた際に移植された大柳は、昭和の公園整備に伴い、本丸跡からこの位置に移された。
 かつてはエゾヤナギと思われていたが、平成22年(2010)に東北巨木調査研究会による調査の際、弘前大学の石田清准教授(当時)の指摘により、森林総合研究所 樹木分子遺伝領域主任研究員(当時)の菊地賢氏に依頼しシロヤナギと同定された。
 巨樹に育つ前に伐られることの多いヤナギとしては全国屈指の巨木であり、ねじれた幹の形状も美しい。



 南西側から

 西側から

 北西側から

 北側から、変かが有りませんね~

 離れて見ました、公園には子供達が遊んでいます


 駐車場へ戻りましょう、噴水のそばに「のびゆく大館」の秋田犬を抱いた銅像です

 城跡北端はら北側の市内をです、白く輝く「ニプロハチ公ドーム(大館樹海ドーム)」が見えました

 では、次へ行きましょう
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青森県大鰐町、居土 観音堂「かんのん様境内の夫婦杉とカツラ(町指定)」です!!

2023-07-22 06:29:41 | 巨樹・大木
 青森県大鰐町、居土 観音堂「居士神社の大イチョウ3本」からの続きです

 居土 観音堂地区は、大鰐町役場の南西約3kmのところ

 大鰐町役場から西側の県道202号線へ出て平川を渡ってJR奥羽本線大鰐温泉駅前を左(西)へ

 道成に進んで約1.3kmで標識に従って「⇐居土( 観音様)・高野新田」の左(南西)へ

 約2.3kmで三目内川を渡った三叉路は左へ「かんのん様」の案内板が出ています

 約600mで右に観音様への参道が東向きに開いています

 居士神社拝殿です

 居士神社本殿です

 ここから続きになります

 社殿北側に観音堂と夫婦杉が見えました

 観音堂です

 夫婦杉です

 「夫婦杉 樹齢約500年」の案内板です

 反対側(北側)から見上げました、合体木ですが約1m迄完全に融合した、目通り幹囲5.5mの巨木です


 観音堂の北側に神明宮です


 神明宮の後ろ側に目的のカツラです

 「大鰐町指定天然記念物 かつら」の標柱です


 東側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 北側から見上げました

 西側から

 南側に廻って来ました

 観音堂裏側から見ました


 境内にはテンナンショウ属の花が咲いていました

 では、戻って次へ行きましょう
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