ご存知、盛唐の詩人、詩仙、「謫仙人」事、李白の『春夜宴桃李園序』。もうかれこれ3回位掲載しています。その中でも好きな文章が赤字の部分。
敢えて抜粋しないのは、この全文が一つの纏まったものなので、文意の流れを損ないたくないからです。
夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。 而浮生若夢、為歓幾何。
夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。
古人秉燭夜遊、良有以也。況陽春召我以煙景、大塊仮我以文章。
古人燭を秉りて夜遊ぶ、良に以有るなり。 況んや陽春我を召くに煙景を以てし、大塊の我に仮すに文章を以てするをや
会桃李之芳園、序天倫之楽事。 群季俊秀、皆爲恵連。吾人詠歌、独慚康楽。
桃李の芳園に会して、天倫の楽事を序す。 群季の俊秀は、皆恵連たり。 吾人の詠歌は、独り康楽に慚づ
幽賞未已、高談転清。 開瓊筵以坐花、飛羽觴而酔月。
幽賞未だ已まず、高談転た清し。瓊筵を開きて以て花に坐し、羽觴を飛ばして月に酔ふ。
不有佳作、何伸雅懐。如詩不成、罰依金谷酒数。
佳作有らずんば、何ぞ雅懐を伸べん。如し詩成らずんば、罰は金谷の酒数に依らん。
そもそも天地は万物を迎え入れる宿(のようなもの)であり、時の流れは永遠の旅人(のようなもの)です。
そしてはかない人生は夢のようであり、喜び楽しむ時間はどれほどあるのでしょうか。
昔の人はロウソクに火を灯して夜中まで遊んだ(といいます)が、もっともなことです。
春の陽気が霞たなびく春景色で私のことを招き、自然(天)が文章を書く才能を私に授けてくれた。
桃や李の香りが芳しく香る庭園に集まって、兄弟親族と楽しい宴を催します。
優れた詩の才能をもつ弟たちは皆、(優れた詩人として知られる)謝恵連のようです。
ひとり私の詠む歌だけは、(謝惠連の兄である)謝靈運に及ばずに恥ずかしく思います。
静かに風情を褒め楽しむことはまだ終わることなく、高尚な話はますます清らかになっていきます。
立派な宴を開いて(桃李の)花の下に座り、盛んに盃をかわして、月を眺めながら酔います。
優れた詩ができなければ、どうして風流な思いを述べることができましょうか、いやできません。
もし詩ができなければ、罰として金谷園の故事にならって酒三杯を飲ませましょう。
況陽春召我以煙景、大塊仮我以文章。
何という粋な言葉だろう。こういう文章に風流を感じます。