前回は王維の詩の紹介でした。ところで函谷関とかは名前は知っていますが実際何処にあるんだろうと疑問が沸いてきました。確かに都会と辺鄙な所の境にあるのは想像つきますがね。いくら中国と雖も、辺境の民族の侵入にてこずっていました。言うなれば蛮族ね。東夷、西戎、南蛮、北狄から中華を守る事から造られた訳だ。
「長城は東の山海関から西の嘉峪関まで、総延長約6700キロ」という認識
- 嘉峪関(かよくかん) 嘉峪関市の南西6kmに位置する河西回廊
- 函谷関(かんこくかん)箱根の山にも出てくる函谷関。河南省にあった関所。この関より西を関中と言い、中原から入る上での交通の要衝にあり、歴史上多くの戦いが行われ、また故事が生まれた。
- 雁門関(がんもんかん)は、別名を西陘関と言い、山西省北部の代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来の関所である。北方の異民族の侵入に対する、防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。
- 虎牢関(ころうかん)は唐の時代に現在の河南省鄭州市の西北に置かれた関所のひとつ。『 ... 『三国志演義』では、191年に袁紹率いる反董卓連合と董卓軍の間で行なわれた虎牢関の戦いが有名
- 山海関(さんかいかん)は、万里の長城の一部を構成する要塞。河北省秦皇島市山海関区所在。華北と東北の境界である
- 友誼関(ゆうぎかん)は中華人民共和国広西チワン族自治区憑祥市中心部より南西15 キロメートルに位置する関所。中国とベトナムとの国境になっている
- 陽関(ようかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の南西約70kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。併せて設置された玉門関より南に位置し、そのため「陽関」と称された。
こうしてみると北方民族に対しての関門が多いですよね。特殊な例は南の友誼関ですかね?。三国時代に諸葛孔明が孟獲を感化させる為に出来たのかね?。昔の事でわかりまへんがなあ。
因みに、孟獲の話。諸葛孔明が南征して来ると雍闓は高定と内輪揉めを起こして、その配下に殺害され、代わって孟獲が雍闓の後釜となった。孟獲は諸葛亮の前に何度にも亘り捕まるが、その度に放された。諸葛亮は仮に武力でこの地を征服しても、蜀漢軍が撤退すれば、いずれ反乱が再発する事を予見していたので、現地の人々を心服させるために、このような処置を採ったといわれている。孟獲は七度目に放された時、ついに諸葛亮に心服し蜀漢への帰順を誓ったという(七縱七禽)。