都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
横浜美術館 「ノンセクト・ラディカル 現代の写真3」展
横浜美術館(横浜市西区)
「ノンセクト・ラディカル 現代の写真3」
2004/7/17~9/20
こんにちは。
今日は横浜美術館でやっていた写真展を見てきました。タイトルの「ノンセクト・ラディカル」というのは、1960~70年代に日本で使われた和製英語で、当時の学生運動などの政治運動の中にあって、どの運動組織にも属さず、もっと根源的な姿勢で社会問題に取り組むことを指しているそうです。ですから、その時代の雰囲気を伝えるような、どちらかと言えば政治的意味を持ち得る作品が多かったように思います。ただ、会場にあったパンフレットには「政治的なメッセージが直接込められているわけではない。」と書かれていましたので、その辺の問題は、鑑賞者一人一人の意識に問われるのだろうと思いました。
どの作品もかなり面白く、どれも興味深く見ることが出来ましたが、その中でも私が最も良いと思ったのは、露口啓二氏の一連の北海道の写真です。彼は、アイヌ語起源のいくつかの土地を、ある程度の時間差を置いて撮影し、それを2枚並べて見せていました。同じ場所を似たようなアングルで撮った2枚の写真。その場所の地名の意味を考えながら、そこに写されている単純な時間の変遷と、それに伴う風景の変化を見ると、そこでは何かが変化しているという、至極当たり前の事実(会場では、「風景の解体」という言葉で説明されていましたが。)が、何やら受け入れがたいような圧倒的なものとして感じられました。どの写真もただの風景に過ぎないのに、どこか寂しさを感じさせられたのも、この作品の重要な要素だったのではないかと思います。
他には、奈良美智さんの「kabou Note 2002」というアフガニスタンのスライド写真(それを現地にあるような小屋を通して再生される。)や、米田知子さんの、戦争によって半ば破壊されたサラエボの写真集などが強く心に残りました。ともに、ドキュメンタリーの要素が強い写真ですが、その被写体にある悲惨な現実は、決して目を背けられないものとして捉えなくてはいけないのでしょう。(普段、どれだけ無視して生きていることやら・・・。)
ところで、この写真展、新聞紙上などでも取り上げられたので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、実は高嶺格氏の「木村さん」というビデオ映像作品が、法に抵触するとかで公開停止になっていました。これは、身体障害者の方の性を扱う作品で、障害者とその介助者の関係や、それ以外の障害者を取り巻く様々な問題を提起する内容だったのですが、局部が映っているとのことで、直前になって検閲に引っかかったそうです。公開予定のコーナーには、横浜美術館館長の簡単な言葉(「現時点での日本の法律では公開は無理。」のような文面。)と、この問題を取り上げた新聞や雑誌の切り抜きがいくつか張られていました。表現の自由と法律の兼ね合いについて、詳しいことはよく分かりませんが、私としては、他人が書いた新聞などのコピーを張ったり、「今の法律では無理~。」のような、何やら自棄な感じのさえする言葉を説明として掲示するのではなく、横浜美術館としてこの問題をどう考えるのかということを、会場でもちゃんと声明として発表するべきだと思いました。その辺はちょっと残念でしたね・・・。
明後日までの会期なので、今更ここで薦めてもあまり意味をなしませんが、公開停止の作品のことを忘れれば、なかなか面白い展覧会だと思います。「今更、ノンセクト・ラディカルなんて・・・。」と思わずに、改めてその意味を考えてはどうでしょうか・・・。
「ノンセクト・ラディカル 現代の写真3」
2004/7/17~9/20
こんにちは。
今日は横浜美術館でやっていた写真展を見てきました。タイトルの「ノンセクト・ラディカル」というのは、1960~70年代に日本で使われた和製英語で、当時の学生運動などの政治運動の中にあって、どの運動組織にも属さず、もっと根源的な姿勢で社会問題に取り組むことを指しているそうです。ですから、その時代の雰囲気を伝えるような、どちらかと言えば政治的意味を持ち得る作品が多かったように思います。ただ、会場にあったパンフレットには「政治的なメッセージが直接込められているわけではない。」と書かれていましたので、その辺の問題は、鑑賞者一人一人の意識に問われるのだろうと思いました。
どの作品もかなり面白く、どれも興味深く見ることが出来ましたが、その中でも私が最も良いと思ったのは、露口啓二氏の一連の北海道の写真です。彼は、アイヌ語起源のいくつかの土地を、ある程度の時間差を置いて撮影し、それを2枚並べて見せていました。同じ場所を似たようなアングルで撮った2枚の写真。その場所の地名の意味を考えながら、そこに写されている単純な時間の変遷と、それに伴う風景の変化を見ると、そこでは何かが変化しているという、至極当たり前の事実(会場では、「風景の解体」という言葉で説明されていましたが。)が、何やら受け入れがたいような圧倒的なものとして感じられました。どの写真もただの風景に過ぎないのに、どこか寂しさを感じさせられたのも、この作品の重要な要素だったのではないかと思います。
他には、奈良美智さんの「kabou Note 2002」というアフガニスタンのスライド写真(それを現地にあるような小屋を通して再生される。)や、米田知子さんの、戦争によって半ば破壊されたサラエボの写真集などが強く心に残りました。ともに、ドキュメンタリーの要素が強い写真ですが、その被写体にある悲惨な現実は、決して目を背けられないものとして捉えなくてはいけないのでしょう。(普段、どれだけ無視して生きていることやら・・・。)
ところで、この写真展、新聞紙上などでも取り上げられたので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、実は高嶺格氏の「木村さん」というビデオ映像作品が、法に抵触するとかで公開停止になっていました。これは、身体障害者の方の性を扱う作品で、障害者とその介助者の関係や、それ以外の障害者を取り巻く様々な問題を提起する内容だったのですが、局部が映っているとのことで、直前になって検閲に引っかかったそうです。公開予定のコーナーには、横浜美術館館長の簡単な言葉(「現時点での日本の法律では公開は無理。」のような文面。)と、この問題を取り上げた新聞や雑誌の切り抜きがいくつか張られていました。表現の自由と法律の兼ね合いについて、詳しいことはよく分かりませんが、私としては、他人が書いた新聞などのコピーを張ったり、「今の法律では無理~。」のような、何やら自棄な感じのさえする言葉を説明として掲示するのではなく、横浜美術館としてこの問題をどう考えるのかということを、会場でもちゃんと声明として発表するべきだと思いました。その辺はちょっと残念でしたね・・・。
明後日までの会期なので、今更ここで薦めてもあまり意味をなしませんが、公開停止の作品のことを忘れれば、なかなか面白い展覧会だと思います。「今更、ノンセクト・ラディカルなんて・・・。」と思わずに、改めてその意味を考えてはどうでしょうか・・・。
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