都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「熊谷守一展」 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
「没後30年 熊谷守一展 - 天与の色彩 究極のかたち - 」
2/2-3/23
一人の画家を回顧するのに、その『手本』ともなるような展覧会です。油彩(124点)、日本画(33点)、さらには書(16点)など計170点以上の作品にて、今年、没後30年を迎えた熊谷守一の画業を俯瞰します。見応えは十分です。
構成は以下の通りです。
第1章「影をつかむ」
僅かな光で浮かぶ対象を描く。初期作品、及び「自画像」(1904)。
第2章「色をとらえる」
作風の変遷。形の動きから色の塊へ。「ひまわり」(1928)、「赤牡丹」(1929)など。
第3章「天与の色彩 究極のかたち」
いわゆる「守一様式」の確立。純化された色面と形の組み合わせ。「きんけい鳥」(1966)など、約120点余。
第4章「守一の日本画」
淡墨による日本画約30点。最晩年の遊びの境地。「とんぼ」(1977)など。
第5章「変幻自在の書」
紙面で踊る守一の書。
まず興味深いのは、いわゆる独得な「守一様式」に入る前の、彼の手がけた油彩画の数々です。(第1章、第2章。)芸大の自画像展でも記憶に新しい「自画像」(1904)における、その大きく見開かれた眼差しには、どこか彼のその後の孤高の画業を思わせる強靭な意思を感じますが、まるでラトゥールの絵画を見るような蝋燭の暗がりを描いた「蝋燭」(1909)も、全体的に寂寞とした感の漂う優れた作品でした。(ここにも守一本人が登場します。一種の自画像です。)この朱色がかった土色とも表せるような色面には、後年の様式も僅かながら見出せそうですが、少なくとも形において、それを伺わせる部分は皆無と言って相違ありません。また「守一様式」へと進むその段階は、主に2章、または3章の前半で見ることが出来ましたが、一時の解体した色と面による、半ば表現主義ともいえるような作品群には驚かされるものがありました。「アトリエ」(1935)や「大島」(1935)は、確かに当時の人々が『失望』したというエピソードにも頷けるような、極めて前衛的な作品であると思います。
結局、守一がかの様式を完成させたのは、1940年前後、つまりはおよそ60歳になろうかとしてからのことです。純化した面と色はもはや試行錯誤した時代の迷いを捨て、遊び心を発露させながら、まるで積み木を軽妙に組み合わせるかのように次々と多様な姿を表していきます。ここで惹かれたものを並べていくとキリがありませんが、左上に蛇口を配し、大きな余白を用いて大根や人参を描く「野菜」(1949)や、平八郎を思わせる色面構成を思わせる「椿」(1960)、それに形が幾何学模様に還元して、さながらクレーの抽象を見るかのような味わいもある「百日草」(1960)などは特に印象に残りました。また上に画像を挙げた「宵月」(1966)も、夜の素朴な情感の伝わる見事な作品です。月の傍でぶら下がっているのは、今にも落葉を迎えようとしている枯葉でしょうか。蝙蝠が羽を休めているようにも見えました。
画家のイメージとやや離れた場所にある作品を楽しめるのも、この回顧展の優れた点の一つと言えるかもしれません。後半の2つの章で紹介されていたのは、守一に珍しい日本画や書などでした。ここでは、油彩に見られる幾何学的な構成感は影を潜め、もっとのびやかで自由な線が画面を泳いでいます。また、会場の一番最後にある、晩年の生活を捉えた写真パネルからは、どこか一筋縄ではいかない、制作にも妥協を許さないような頑固な守一像を見出すことが出来ましたが、書や日本画だけ見るとまさに好々爺の作と言ったような印象も受けます。流麗な字で、作品に年齢をこれ見よがしに書き入れる様が何とも微笑ましく思えました。
一点一点、じっくり時間をかけて絵と対話したくなるような展覧会です。見る側が、絵に自由な想像力を働かせて楽しめるのも、また守一作品の大きな魅力ではないでしょうか。
地元高校とのコラボによる守一の「あーとかるた」も良く出来ていました。今月23日まで開催です。もちろんおすすめします。
「没後30年 熊谷守一展 - 天与の色彩 究極のかたち - 」
2/2-3/23
一人の画家を回顧するのに、その『手本』ともなるような展覧会です。油彩(124点)、日本画(33点)、さらには書(16点)など計170点以上の作品にて、今年、没後30年を迎えた熊谷守一の画業を俯瞰します。見応えは十分です。
構成は以下の通りです。
第1章「影をつかむ」
僅かな光で浮かぶ対象を描く。初期作品、及び「自画像」(1904)。
第2章「色をとらえる」
作風の変遷。形の動きから色の塊へ。「ひまわり」(1928)、「赤牡丹」(1929)など。
第3章「天与の色彩 究極のかたち」
いわゆる「守一様式」の確立。純化された色面と形の組み合わせ。「きんけい鳥」(1966)など、約120点余。
第4章「守一の日本画」
淡墨による日本画約30点。最晩年の遊びの境地。「とんぼ」(1977)など。
第5章「変幻自在の書」
紙面で踊る守一の書。
まず興味深いのは、いわゆる独得な「守一様式」に入る前の、彼の手がけた油彩画の数々です。(第1章、第2章。)芸大の自画像展でも記憶に新しい「自画像」(1904)における、その大きく見開かれた眼差しには、どこか彼のその後の孤高の画業を思わせる強靭な意思を感じますが、まるでラトゥールの絵画を見るような蝋燭の暗がりを描いた「蝋燭」(1909)も、全体的に寂寞とした感の漂う優れた作品でした。(ここにも守一本人が登場します。一種の自画像です。)この朱色がかった土色とも表せるような色面には、後年の様式も僅かながら見出せそうですが、少なくとも形において、それを伺わせる部分は皆無と言って相違ありません。また「守一様式」へと進むその段階は、主に2章、または3章の前半で見ることが出来ましたが、一時の解体した色と面による、半ば表現主義ともいえるような作品群には驚かされるものがありました。「アトリエ」(1935)や「大島」(1935)は、確かに当時の人々が『失望』したというエピソードにも頷けるような、極めて前衛的な作品であると思います。
結局、守一がかの様式を完成させたのは、1940年前後、つまりはおよそ60歳になろうかとしてからのことです。純化した面と色はもはや試行錯誤した時代の迷いを捨て、遊び心を発露させながら、まるで積み木を軽妙に組み合わせるかのように次々と多様な姿を表していきます。ここで惹かれたものを並べていくとキリがありませんが、左上に蛇口を配し、大きな余白を用いて大根や人参を描く「野菜」(1949)や、平八郎を思わせる色面構成を思わせる「椿」(1960)、それに形が幾何学模様に還元して、さながらクレーの抽象を見るかのような味わいもある「百日草」(1960)などは特に印象に残りました。また上に画像を挙げた「宵月」(1966)も、夜の素朴な情感の伝わる見事な作品です。月の傍でぶら下がっているのは、今にも落葉を迎えようとしている枯葉でしょうか。蝙蝠が羽を休めているようにも見えました。
画家のイメージとやや離れた場所にある作品を楽しめるのも、この回顧展の優れた点の一つと言えるかもしれません。後半の2つの章で紹介されていたのは、守一に珍しい日本画や書などでした。ここでは、油彩に見られる幾何学的な構成感は影を潜め、もっとのびやかで自由な線が画面を泳いでいます。また、会場の一番最後にある、晩年の生活を捉えた写真パネルからは、どこか一筋縄ではいかない、制作にも妥協を許さないような頑固な守一像を見出すことが出来ましたが、書や日本画だけ見るとまさに好々爺の作と言ったような印象も受けます。流麗な字で、作品に年齢をこれ見よがしに書き入れる様が何とも微笑ましく思えました。
一点一点、じっくり時間をかけて絵と対話したくなるような展覧会です。見る側が、絵に自由な想像力を働かせて楽しめるのも、また守一作品の大きな魅力ではないでしょうか。
地元高校とのコラボによる守一の「あーとかるた」も良く出来ていました。今月23日まで開催です。もちろんおすすめします。
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