晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(13) 菟原中⑫ 10/2

2012-10-02 | 歴史・民俗

2012.10.2(火)晴れ

 別所探訪の目的は別所と産鉄の関係を証明するものである。それなのに未だに別所に行きもせず、京街道の探究に費やしているのか不思議に思われるかもしれない。それは「別所地名事典」で柴田氏が別所が産鉄の地であるという事項にされているのが、不寝大明神であり、不寝の森だからである。不寝の森が別所にあってこそ別所=産鉄の地という構図が成り立つのである。P1020808
 



向こうに大きな養鶏場の建物が見える。菟原中別所である。(旧国道から)

 わたしは不寝大明神が三日三晩タタラの火を寝ずに見守るタタラ師の信奉する神という説には納得がいかないものであるが、よしんばそうであっても不寝大明神が別所に存在しなければ意味の無いことなのである。
 わたしは不寝大明神は関所、番所の神と考えた。そしてどうやら宿垣内の手前の林の中にいくつかの宿とともに、不寝大明神が不寝の森に鎮座していた事を突きとめた。もしこれが事実であったなら、柴田氏の菟原中における別所=産鉄の地という根拠は何も無くなるわけである。
 しかしわたしは柴田氏の説を覆す目的で調査しているわけではない、むしろ別所=産鉄の地というのは間違いないだろうと考えているところである。
 別所探訪のトップにこの地を選んだのは、この地が最も産鉄の地らしくないからである。菟原を訪れる以前に各地の別所を訪問している。その中には実際に鉱山があったところや鉄滓や鉄製品が出土しているところもある。だからこそそういった匂いのしない菟原を選んだのだ。柴田氏の菟原の現地調査は残念ながらずさんといえる。わたしの高々三日間の調査だけでその根拠が覆されそうになっているのだから、、。
 その地が産鉄の地であると言う証拠は、製鉄遺跡、鍛冶遺跡、鉄滓の発見である。記録も重要な証拠だが、中世以前のしかも地方の山間部の記録などあろうはずも無い。
 鉄製品が出土しても、その地で生産されたかどうかは判らない。むしろ鉄滓ならわざわざ他の地に移動させることは無いだろうと考え、信憑性がある。しかしこれら具体的な遺物を発見できるのは極希なことである。ましてやたまの訪問で調査するぐらいでは発見の可能性はゼロに近い。そこで、地形、気候、地質、材料、信仰、伝説、近世以降の産業、流通などあらゆる状況証拠を集めなければならない。
 「別所地名事典」の数少ない状況証拠の不寝大明神が覆ろうとするとき、新たな有力な状況証拠が発見された。それが偶然に写真に撮った毘沙門堂である。つづくP1020848




景清稲荷の脇にある毘沙門堂には祠と木像の毘沙門天と古い地蔵さまが祀られている。問題は祠の中である。

【作業日誌 10/2】
聖護院カブラ播種、いまから育つだろうか。

【晴徨雨読】63日目(2006.10.2)八甲田~函館湯の川
 八甲田の紅葉が忘れられず、ロープウェイで見に行く。田茂萢岳(たもやちだけ)周辺の紅葉も素晴らしいが、作日の毛無岱が遠くに見えるのも感激もの。青函フェリーで函館に渡り、どしゃ降りの湯の川温泉に行く。いよいよ北海道だ。

【今日のじょん】:今日は定休日でかみさんと病院などに出かける。久々に留守番させられて、帰ってきたらこのとおり。P1020893 P1020891




ゴミを放り出すのは欲求不満の時みたい。 

コメント
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