晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 菟原中 10/5 

2012-10-05 | 晴徨

2012.10.5(金)晴れ

 11:14 じょんのびスタート
 12:22 質山峠~下川合~梅原祇園社~
 13:00 辻愛宕社、昼食 
 13:20 スタート~柏田~脇淵~別所~梅田社~龍源寺~宿
 15:40 菟原両橋スタート~同じ経路を帰る
 17:00 山家
 17:40 じょんのび着 71Km

 悪かった天気も金曜日には晴れる。菟原中の訪問も4回目となる。今日の目的は龍源寺さんに「菟原村史」をお返しすること、不寝の森の探索であるが、旧京街道の探索や別所、薬師谷の探索に時間を費やし、不寝の森については一部しか探せなかった。別所、薬師谷、旧京街道の探索は「別所探訪」に記事を譲るとして、その他の訪問地点を紹介しよう。
 この一ヶ月の間に随分気温も下がって、疲労の度合いもかなり少ない。峠も楽に登れるが時間は変わらない。
 作日明治29年の陸測部(大日本帝国陸地測量部)地図を見る機会があって、今日のコースを見ていると、下川合の三和ダッシュ村から先の府道59号線部分はまだできていないのだ。梅原に行く府道709号線、土師川左岸の道と、現在の府道59号線の少し山手に道が走っている。この道は子供時代に一度だけ通ったことがある。道理で府道59号線部分には地蔵さまなど無くて、709号線にはあるんだなどと考えながら走る。そのお地蔵の手前に住居跡があり、石垣や棕櫚などが残っている。P1020915
 
川合川左岸の住居跡、自転車でないと見つけられない。



 そして細見梅原も当時は下川合となっている。大正七年(1918)に分村したそうだる
 梅原を走っていると左手に小さな祠があるので昼食でもとろうかと寄って見る。お祭りの準備の方に神社名を聞く。祇園社ということで、隣の稲荷さんは単に稲荷さんということだ。水鉢には天保五年の銘があり、旧いものだと言っておられた。梅原という地名から開拓地だと思われるが、今となれば高台で開放感のある良いところだ。P1020917
 
梅原の祗園神社、祭神は素戔嗚命他、文政年間の創設。




 人の居られるところでの食事も落ち着かないので、辻河内ヶ野(こうじがの)まで足を伸ばす。
街道脇に愛宕さんの祠があり、そこで食事をとる。その後は柏田の道わけ地蔵を右にとり、旧京街道探索をする。これ以降は別稿に譲ることとして、晴徨報告を終わる。
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河内ヶ野の愛宕さん。




【晴徨雨読】66日目(2006,10.5)鹿部~長万部
 北海道らしいといえば北海道らしい、何も無いところを99Kmも走った。道沿いに遺跡とか名所とかあれば立ち寄って話題作りも出来るんだが、景色と言っても殺伐としているし、大型トラック、バスがバンバン走り、面白くも何ともない一日だった。Img_0981

あきるぜ。



【今日のじょん】:先日のど根性里芋が大きくなった。草刈りの人もちゃんと残していたようで、そのうちあや新に載るかしら。ど根じょん芋なんちゃって。
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コメント
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