2012.10.6(土)曇
10月3日にゲートボール場附近で発見したのは鉄滓である。
ゲートボール場脇の府道沿いの空き地で発見、灰褐色で4cmあまり、磁性はない。
鉄滓については上林川の堤防及びその外側の田畑でいくつも採取しており、従前から公表しているところだが、五津合町清水の井関氏鋳物工房から水害時に流れ着いたものと考えている。
広範囲で発見され、いずれも川の周辺である。
色、形状とも井関氏たたら跡から発見されたものと酷似している。
という理由でそのように考えているのだが、ほとんどのものが部分的に磁性があり、錆が発生しているものもある。地金を仕入れて鍋釜などに加工していたという記録もあり、鋳物師と言えども梵鐘や灯籠などの銅製品製造は希で、日常は鉄器を作製していたのではないかと想像している。そういう意味で鉄滓と呼んでいるのだが、鋳物滓というのが正しいのかも知れない。
左が上林川で始めて見つけた鉄滓、右は井関家のたたら跡から出たもの。井関家のものは風化していないためガラス質が残っている。どちらも一部分に磁性があり、色、形状とも酷似している。
なお、昭和28年の水害の際の堤防、護岸工事については、他所から土砂を搬入はしていないという証言を得た。つまり搬入する必要が無いほど土砂が堆積し、それを人力で、つまり猫車やもっこを使って工事を行ったということだ。特に上林川最大の屈曲点である村田附近の土砂の堆積は相当なものであったそうだ。従って工事の際に流域の違う場所から鉄滓が運ばれたとは考えられない。
ただ、清水のたたら場以外から出たものという可能性は無きにしもあらずと思っている。というより期待している。
それを証明するためには、清水の下流以外で発見することである。すなわち、上林川の畑口川出合いより上流域、あるいは畑口川の清水より上流、そして上林川の支流、流路に関係の無い山間部で発見することである。
今回の発見の場合大変悩ましいところで、堤防付近からは離れているものの28水時の堆積土砂が持ち込まれた可能性は充分にある地域なのだ。今はゲートボール場だが、明治28年の陸測図を見ると建物が並んでおり、造成や府道の拡張工事もあったようだ。
発見場所はグレーチングの右辺り。土師器、須恵器の発見場所と同一である。
可能性は薄いが、この地に由来する出土品だとしたら事件である。それは土師器、須恵器の出土地だからだ。土器と鉄、一見無関係のように思われるが、わたしは燃焼温度を確保できるという意味で関連があるのではないかと考える。つまり日常の生活では必要の無い800度~1100度以上の燃焼温度というのは土器の作製と製鉄以外に考えられないのである。この二つに共通の基盤があってもおかしくはない。窯跡もしくは製鉄跡が発見できれば、これは画期的なことである。
【晴徨雨読】67日目(2006.10.6)長万部~ニセコ
作日自転車で走って路上に蛇が多いのに驚いた。そういえば6年前のこの時期も多かったなあ。ドライブインのトイレ蛇事件もこのあたりのことではなかったか。この時期はそういう時期なんだ。さてニセコに向かういわゆる大農地帯は零細農家出身のわたしには羨ましいばかりの光景が見られるのだが、まるで正反対の光景も目に付いた。それはドラマ「北の国から」で見られたような、倒産破産による夜逃げ同然の離村である。目にした家々の内実は解らないのだけど、生活をしていたそのままの光景の家に草が生い茂っている光景は、哀しいを通り越して怒りを覚える。
【今日のじょん】:太宰風に「じょんには念道橋がよく似合う」なんてかみさんが言うもんだから撮ってみたけど、どうだかねえ。