晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

晴徨 菟原中村-5 10/26

2012-10-27 | 晴徨

2012.10.26(金)晴れ

 10:20   じょんのび村スタート~山家~質山峠~梅原~河内ヶ野
 12:20   菟原下猪ノ倉昼食~菟原下、中、高杉彷徨
 15:30   菟原中出発~往路と同じ~上谷厄神~広域農道
 17:33   じょんのびゴール(70,3Km)

  サイクリング絶好の季節となった。二週間サボったので身体も重いし、出かけるのがおっくうになっている。第一季節が変わって、衣装が分からない。長袖にすべきか、タイツは必要か、ウィンドブレーカーはとか悩んでしまう。
 結局バイクパンツに、膝下のタイツ、半袖ジャージにウィンドブレーカーのいでたちで出発、衣装が増えると動きが悪い。ただ、水だけは真夏の1/3で済む。そして今日はリヤキャリーに取り付けた荷物箱の試運転という意味もある。P1030121
 



ご存じファーストラブ6世号、ツールボックスの荷台を付けたが格好良くない。

 菟原に通い始めて五回目となる、往復70Kmの距離は運動量としては手頃である。ところが往路復路がいつも同じというのは飽きるものである。かといって遠回りするのもしゃくだし、いつもの道ながらちょいと違うルートを走ってみる。
 じょんのび村から山家までの府道1号線は致し方ない。山家からは由良川左岸の府道450号線を走るのだが、なるべく旧道を走るようにしている。山家駅から下原辺りまで、賽神社といっただろうか辺りまで旧道を通るが、西原へ由良川を渡る辺りも旧道がある。新道が面白くないだけ、旧道はなにか期待ができる。果たして古そうな地蔵さまが並んでいた。
P1030118




 この道も綾部からの京街道の一つなのだろう。この旧道もすぐに新道に合流し、国道173号線に出合うまでは迂回路は無い。
 野田町に出ると新綾部大橋の下をぐるぐると回り国道に出るのだが、国道に出ないで旧道を質山峠に向かうことができる。ごみ処理場までは車も通っているし、その先も走れそうに思うのだが国道から覗くと草深くて気味悪そうだ。一度帰路の下りの時に試走してみようと思っているが、いつも急いでいるので実現しない。
 質山峠を越えての下りも単に気持ち良く走るだけで無く、高橋の旧道を走ってみたいと思っている。しかしこの部分は短い距離みたいだ。その後国道9号線まではいつもどおり、菟原に入ってからは新京街道、旧京街道を探りながら進む。これは別稿で御紹介したい。
 さて帰路だが、いつもと違うのは西原から上谷厄神社へ廻り広域農道から旭町に出る。地図で見る限り絶対に近そうなんだが、時間的にも疲労度でも変わりない。距離が短くても坂がある場合は有利ではないようだ。長宮から岼への長宮峠でもそうだ、距離は短いが時間は余り変わらない。急がば回れということか。

【晴徨雨読】87日目(2006.10.26)小原温泉~福島市
 小原温泉の魅力はお湯もさることながら、渓谷である。到着日には余裕が無かったので本日朝に渓谷を巡る。スケールの大きい渓谷で、京都や丹波の谷など問題にならない。両岸は切り立って墨絵のようだし、水量が多くて恐怖感さえ覚える。随所に温泉が湧き出ていて湯気を立てている。その量も半端じゃない。ただ、壊れた旅館がそのまま建っており、ソファーやテーブルなども見える。一人で歩いているとこれほど気味悪いものもない。Img_1404 Img_1413
 



この左岸に遊歩道があるとは思えない。右に日帰り温泉向こうに滝が見える。
道中自然の温泉が湧いているのは風情があるが、廃墟の旅館はいただけない。


 この日の感動はこれだけではない。小原の材木岩という柱状節理で、スケールが馬鹿でかい。さすがに観光バスなども訪れていたが、実は小原温泉同様存在さえ知らなかった。
 そして七ヶ宿街道と小坂峠である、全線を歩いてみたい街道といえば、六十里街道とここである。Img_1444 Img_1467




小原の材木岩、これが延々続いている。
七ヶ宿街道小坂峠、ここから福島県。


【今日のじょん】:土師器発見、といっても土器の底の部分で直径6cm程度か。ここでは破片ばかりなので、ちょいと満足、場所の写真には必ずじょんが居る。P1030116
  

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別所探訪(25) 菟原中-24

2012-10-27 | 歴史・民俗

2012.10.25(木)晴れ

 別所が産鉄の地であるのかないのか、決定的な証拠は何も出てこない。ましてや俘囚移配の地なんてのは微塵も無い。
 仮に産鉄の地であったとしてそれはどのような形だろう。
 古代の産鉄に必要な条件は、鉄の原料、燃料、風、水が主要なファクターである。
風については二回目の訪問の時地元の人に聞いたが、さほど強い風が吹くところでは無いと言うことだった。地形図を見れば解ることだが、土師川が大きく蛇行し、両岸には急峻な山が張り出している。風は相当弱められるだろう。ただし、北西方面に開けている部分もある、それが別所である。ましてや高台となっているので冬期の北西風は直接にあたるのではないだろうか。
 燃料はどの地域に於いても問題ない。水も尾根上とはいえ、もし龍源寺の元となる寺院があったとしたらいくらかの水はあっただろう。鉄穴流しをするなど近代の製鉄ならともかく古代の製鉄に於いてそう大量の水が必要ではなさそうだ。
 問題は原料である。別所の山で鉄鉱石を掘っていたとは考えにくいし、おそらく砂鉄が原料だろう。わたしは友渕川の川砂鉄に期待している。
 もちろんそれについて調べたわけでは無く、地名や上流の状況から見て想像しているだけのものである。友渕川上流の高杉には、アナゴザコ、保井谷、さらに上流の友淵には、イモガ坂、サイ野々、カヂヤガハタ、ヒノ谷、アケシオ、保井谷など金属地名とおぼしき地名が目白押しである。これらは現地が分かった時点で説明しようかと思うが、保井谷だけは京丹波町の別所を訪問した際に近隣にマンガン鉱山があったということで、それが保井谷というところだったというものである。
 さて友渕川をさらに遡ると、兵庫県篠山市になるのだが、そこには丹波では最も古いだろう草山温泉がある。
 草山という山も無さそうだし、草山という地名も無さそうだと思っていたら、かつて草山郷であったということだ。ここには草山鉱山というマンガン鉱山が操業していた。P1030181
 



友渕川、土師川出合い方面を望む。予想以上に水量があると思ったら、土師川と同じぐらい上流が長いのだ。


 草山という地名は三和町にもあり、クサというのは舞草(もぐさ)刀、草薙の剣など刀に使われており、金属関連の言葉ではないかと思っていたら、砂鉄のことを種(たね)というがこれもくさと読むなどという谷川健一氏の論文を見つけた。三和町の草山には片眼の行者が祀ってあるお堂があるという。片眼が製鉄に関連あるのは知られているところである。P1020763
 



小路というこの谷を遡るとそのお堂があると言う。

 友渕川をさらに遡ると小金ヶ嶽(725m)となる。砂鉄のことを小鉄(こがね)、種子(たね)などという。関連があるやなしや。
 また、南西に遡ると鼓峠にいたる。この鼓峠は以前に金属関連地名ではないかと紹介しところだ。(2010.4.21 遊里のこと)同時に紹介した京丹波町の鼓山にはマンガン鉱山があったことを知って驚いている。
 このように友渕川は金属に関する地名に取り囲まれている。おそらくしっかり砂鉄の採れる川なのではないだろうか。つづく

【作業日誌 10/25】
玉切り、薪割りP1030115


三日かかってワンスパン。



【晴徨雨読】86日目(2006.10.25)仙台~小原温泉(白石市)
 今日ほど行き先を決めていない日も無い。仙台市も雨ばかりで見歩いていないし、通りがかりの郷土資料館に立ち寄る。市博物館よりよっぽどローカルで楽しい。いつもどおりお客は一人。Img_1386
 
どこかで見たでしょ、この資料館で見つけたのだ。





 途中古墳に寄ったりしながら、阿武隈川に着きあたる。どっち行こうかなてんで右に遡る。また二股になり、どっち行こうかな、右の白石川を選ぶ。YHに電話して「満員です」と断られる。この時期満員なわけないだろう。
 白石市の中心部に行くと何となくつまらなそう、電柱看板に小原温泉を見つけて電話する。高いけれど交渉して安く泊まる。隣のおかず見たら同じ、部屋が古いみたいだ。風情たっぷりの温泉だった。

【今日のじょん】:これはいかなるシチュエーションでせうか?P1030114
忘れました。チャンチャン。
 
  

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