晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

文化の秋 10/14

2012-10-14 | 日記・エッセイ・コラム

2012.10.14(日)曇

 夏は一般的に大衆受けする催しが多いが、秋は玄人というか特化した分野の展示会が多い。文化の秋のなせるわざと言うところか。行きたい催しがいくつかある。行きたいと行けるとは別問題で、金銭的な理由で行けないものがある。

 高句麗壁画古墳報道写真展
 日本新聞博物館 横浜市中央区 12月16日まで
 共同通信社が昨年、一昨年平壌やその周辺で取材したもので、メディア、研究者とも簡単に行けるところでは無いので大変貴重なものだ。日本の古代文化との関連を発見できるものだろう。横浜まで出かけられないが、関西などでも開催されないものなんだろうか。

 丹後古代の里資料館
 京丹後市丹後町宮 火曜休館
 丹後建国(713年)1300年を前に展示品を刷新して、鉄の丹後王国の繁栄から衰退までを分かりやすく紹介している。
 これは期間展示ではなく、常設の展示と思われるが近くでもあるので是非行ってみたい。それはやはり近年盛んになった製鉄遺跡の発掘である。もちろん過去から製鉄遺跡は発掘されていたのだが、あまり注目されていなかったというか、重要視されていなかったようである。ところが近年国家の成立、国権、文化の発展などに金属とりわけ鉄の有り様が大きくクローズアップされてきた。
 今ここに「日本の古代遺跡27」という古代遺跡、特に古墳についての非常によくできたガイドブック的な本がある。大変身近な遺跡の概要が分かりやすく述べられているのだが、金属の産出、精錬という視点はまるで無い。石器、土器、銅鐸、鏡、石棺などが主人公で、もちろん大刀や銅鐸など金属製品は登場するのだが、金属の産出、精錬という観点は無いようである。
 やがて古代国家の成立と発展に金属が重要な位置を占めることが理解されはじめ、製鉄遺跡や鍛冶遺跡が注目されるようになったのだろう。特に丹後では遠所遺跡の発掘が大きなウェイトを占めるようになった。
 そういう所にこの資料館の刷新というのも在るのではないだろうか。

 特別展「王者の証」
 綾部市資料館開館20周年記念特別展示 11月25日まで
 横穴式石室墳がメインテーマということで、市内からの出土品、藤ノ木古墳の出土品の一部も展示されるそうだ。
 あまり興味ないのだけど確実に行けるので取りあげてみた。P1030041

 


秋は文化的催しが目白押し、普段文化に触れることの無いあなた、この秋ちょっと覗いてみませんか。

【晴徨雨読】75日目 (2006.10.14)八戸~田野畑
 フェリーで八戸に着いたのは暗い内でその寒いこと、車の連中はそそくさと出かけるが、二輪と自転車のわたしは待合室で夜明けを待つ。外に出る気がしないわけだ。これから冬に向かう京都への道のりを思うと、不安が込み上げてくる。それでも明るい日差しが差し込んでくると勇気が湧くものだ。種差海岸など風光明媚な海岸線を走る。絶好のサイクリングコースだ。岩手県に入ると道はやや複雑になるのだが、種市海水浴場という知られていないのに素晴らしい景色を見る。Img_1151 Img_1152
 




 久慈あたりで一泊と思ったが何となく変わりばえのしないところなので足を伸ばすと、玉川鉱山なんてのがあった。なんとこれがマンガン鉱山なのだ。Img_1170

観光鉱山も一人で入ると不気味である。



 京都のマンガン鉱山と違って規模がでかい。少し走って海沿いの烏帽子岩のそばに宿をとる。

【今日のじょん】:今日は葛禮本神社の秋祭りだ。幟のところからお参りする。P1030040
 

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別所探訪(19) 菟原中⑱ 10/13

2012-10-14 | 歴史・民俗

    2012.10.13(土)晴れ

 別所の尾根の東側、つまり友渕川方面には養鶏場があるために別所からは行けそうにない。友渕川の左岸に小道が有りそうなので行ってみたいが、時間が無い。やむなく梅田神社から眺めることにする。別所の下には馬場という所があったという。かつて打杭氏という武士団が居たという、射場、馬場というのは彼らの訓練の場であったのかもしれない。
 各地の製鉄遺跡や産鉄候補地は古くは牧であった例が多い。馬場という地名は崖、尾根上の平地、広場など直接馬に関係の無い場合もあるが、ここの場合は本当の馬場であって欲しいと思うのである。
 もうひとつ馬に関連するかという地名が、馬船(まぶね)である。旧京街道が馬船口を通っているというから期待が持てる。P1020958 P1020960
 



左:別所の北側、右手台地上に福林寺が見える。
右:別所の東、友渕川出合い。58年水害以前は土師川がもっと奥へ蛇行していたそうだ。

 辞書を引くと「馬を乗せて川を渡る船」など言う意味もあるようだ。となると馬場とも関連ありそうだと考えられるが、この地名は上流の高杉にもあり、馬を乗せて川を渡るというような大げさな川ではないので、馬船=馬を乗せる船という意味はこの地では該当しないようだ。いずれにしても馬船というところがどのような位置にあるか分かれば、その意味も解ってくるだろう。
 旧京街道でこの馬船口だけが確定できていないのだが、渕脇の細見さんは知っておられたのでそれほど難しいことではなさそうだ。
 実は菟原中を二回目に訪れた際に京街道はこれかなっと下った坂がある。宿から逆に降りてきて、府道を渡り影清稲荷の前を通る道の最初の左に入る道だ。京街道を探している時であって、宿からの道の角度がこの路地の方が素直なのだ。進んで行くと急坂となり、目的の方向と逆の方向に降りて行く、しかも友渕川に突き当たってしまった。これは間違いだと思い、下の方を探してバンド坂や土師川の渡しの部分を見つけるのだが、最初に間違えた道こそが旧京街道ではないかと思っている。
 いずれ分かることだが、何かと想像するのは楽しい。
 さて肝心の不寝の森探しだが、すっかり時間が無くなったので、あたらし屋さんの横の道とヴェルディみわの手前の造成地付近を確認する。P1020967
 
あたらし屋さんの横の道、藤田さんの言ではこれが京街道という。




 あたらし屋さんの横の道からどう山の中に入るかはわからない。逆から道を辿るしか無い。谷の附近にこれも宅地になるのだろうか造成された部分がある。P1020968

どこから山中に入っているかわからない。矢印のところに住居跡あり。



 谷には木橋がかかっており、山の斜面に道がある。どうやらこれが京街道らしい。造成地から山林に入った辺りに段があるようで、街道跡のように思えるのだが、確認できていない。造成地との際に棕櫚の木発見、棕櫚は人が居住していた証でもある。草むらをガサガサ入って行くと古井戸発見、居住跡であることは間違いない。P1020972 P1020975
 



左:谷を越えて道は続いている。
右:住居跡の古井戸。

 もしこの建物が但馬屋跡であったとしたら、宇治にも負けない美味しいお茶を点てたのはこの井戸になるわけだ。いやはやロマンである。つづく

【作業日誌10/13】
草刈り(6-2)

【晴徨雨読】74日目(2006.10.13)札幌~支笏湖~苫小牧
寒さの北海道を脱出する。札幌資料館と言うところで風刺漫画とナンセンスの展示会があった。暗い気持ちで旅立ったが、少しなごむ。Img_1107Img_1108


本文には沢山掲載。




 支笏湖を巡る道も人影も少なく寒々としている。樽前国道にそってサイクリング道路が有る。30Kmほとんど直線の楽しい道なんだが、国道もガラガラなので主に国道を走る。その総てが下りで漕ぐ必要が無いほどだ。本来最高に楽しい走行なんだが、寒すぎてスピードも出せないし、途中で止まって身体を温めないと凍えてしまう。フェリーターミナルでは思い切り熱燗にしてもらった。Img_1133 Img_1134_2




支笏湖も寒そー、多分日本一直線の長いサイクリング道路。


【今日のじょん】:何じゃこりゃシリーズ オニフスベ?
昨年も見つけた場所で今年も二個見つけた。一個はもう爆発している。これって調べると食べられるんだって、ちょっと食う気しないわなあ。P1030036_2P1030037P1030038_2


 

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