2012.10.11(木)曇
薬師谷の林道は舗装されていて快適に登って行ける。どういうわけか地名の立て札が立っており、小字もあればもっと細かい地名まで記載されている。菟原下のこの谷だけどうしてこのような表示があるのか解らない。学校で歴史や地理の学習にでも使われたのだろうか、いずれにしても地名探索者にとってはこれほどありがたいものはない。
「義経」という所があったので、義経谷はすぐに解った。この谷あたりから別所に登っていったとすると、先程養鶏場で見つけた所が道ならば、少し左に登って行く感じである。それが清水坂なのだろうか。
こういう地名看板がいたるところに立っている。
実は「清水」という地名は金属関連地名ではないかと考えている。あまりにも多い地名であり、いわゆる水の湧く清水というのはどこにでもあるので、どの研究者にも提唱されていない。鉱山や金属関連遺跡、鋳物師の存在地などを調べていると最も多く見つけることができる共通の地名が実は「清水」である。もちろん大清水とか清水口などといった地名になる事もある。サシスセソが金属に関連あろうというのは谷川健一氏も述べられているが、水が何を表すか解らないので発表はしていない。
少し奥に入って行くと左手に都会から来たという人のおしゃれな家がある。鳥を飼ったり、野菜や椎茸など栽培されているようだ。犬の鳴き声も何頭か聞こえる。またいつか声を掛けてみよう。
どんどん登って行くと、両岸に岩がせり立っている切り通しのようなところに出る。その先右手に旧道らしき橋が架かっており、その手前に岩をくり抜いた窟に石像がある。うーむ、これは毘沙門天ではない、養鶏場で聞いた地形のところなので、これを毘沙門天と間違われたようだ。地名看板では「薬師」と書いてあり、これは薬師如来であろう。
別所と薬師堂、特に慈覚大師の開基と言われる薬師堂は付きものである。そのことが蝦夷の俘囚と別所を関連づけるものと柴田氏は言われるのだが、わたしは今ひとつ納得がいかないものである。ただこの薬師谷の薬師堂が天台宗福林寺と所縁があるようで、慈覚大師が天台宗と所縁があることを考えると別所との関連はあるのかも知れない。
薬師谷を詰めてゆくが、目的の薬師堂もあったことだし途中で引き返す。
薬師谷の帰り道では、義経の近くに赤穂屋敷という地名を見つける。伝説によると別所には豪農赤穂五三郎の住居があったとされている。同じく別所の打杭氏についてもその姿は皆目分からない。
打杭氏については綾部市別所町の北にある内久井町(うちぐいちょう)も気になるところだが何の脈絡も見つからない。
旧京街道については別所に上がるところまではおぼろげながら分かった。ところがだ、別所の中を通れないもんだから、別所以降の道を探すのが大変だ。馬船口と言うところだけがヒントである。つづく
【作業日誌 10/11】
谷の水道新ルート開通
チューリップ球根植えつけ終了
【晴徨雨読】72日目(2006.10.11)小樽滞在
雨の中を小樽の街を逍遙する。小樽は今回の目的の街でもあり、憧れの街であったのだが、旅行中に趣向が変わり、どうも都市には魅力を感じなくなってきた。
博物館も日帰り温泉もつまらなく、ましてや観光客が列をなす運河の辺なんて面白くも何ともない。唯一村上君の話していた絶品の小樽の寿司は食しようと思っていたのだが、店頭の値段に負けて遂に食することはなかった。
小樽はお金持ちの観光客には良いところかも知れない。
【今日のじょん】:な~おさんに秘密の枝豆を頂く。丹波には名産の黒豆の枝豆があって充分に美味しいのだが、山形のだだちゃ豆には負ける。そのだだちゃの系統らしいけど、これは絶品である。だだちゃが美味いのは水分量の加減ではないかと密かに思っているのだけど、、、。もちろんじょんもご相伴にあずかった。