晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(27) 菟原中-26 10/28

2012-10-28 | 歴史・民俗

2012.10.28(日)雨

 もうひとつ驚くべき話を西山さんから聞く。
 府道を友渕方面に行くと右手に大師堂があり、その上に金堀谷という谷があり銀が採れたという。竪坑で竹木が生い茂って行けないかもしれないが、坑跡があることは確からしい。伝説とは言え空海を祀る大師堂、金堀谷の地名があり、竪坑跡があるというのは捨て置けない情報である。
 そして村に伝わる伝説として、将来村が衰退して家が七戸になったらあるところを掘れ、というものがあるそうだ。これはよくある話で、高野山の金剛峯寺であったろうかそういう伝説があるそうだ。
 実際に金銀が産出したか否かは別として、この地帯が古代において密教系の山伏による試掘、採掘が行われたものと想像する。
 白蛇伝説の権現堂も含めこれ等の遺跡、坑道跡を訪ねるとともに鉱脈としてのこの地域を調査したいと思っているが、上流の友淵はさらに数多くの金属地名と思われるところがあるので確認してみたい。P1030182
 
 


白蛇伝説の権現様は友渕川左岸の馬船の森の中にあり、こちらからは行けない。
高杉で左岸に渡り、川沿いに下って行くそうだ。権現様の辺りが馬船口というそうだ。


友渕川周辺が鉄、非鉄に係わらず金属地帯であるとすると、馬船はやはり金属関連の意味があるのかも知れない。

馬船=間歩嶺、つまり坑道のある山という考えが再浮上してくる。
 坑道全体を間歩といい、坑道の入口は四つ留(よつどめ)、鋪口(しきぐち)、釜の口といわれる。鳥居形に組まれた栗の木の支柱から四つ留と呼ばれたそうだが、佐渡金山や石見銀山の大きな間歩ではここに四留番所がおかれ、鉱夫や鉱石の管理をした。この四つ留に坑内の安全を願って天照、春日、薬師、大山祇などの神が祀られたという。(鉱山開発から見た秋田の鉱山地名 進藤孝一)
 実はこの四神が別所の周囲に揃っているのである。P1020959 P1020954
 



別所の川向かい、菟原下の梅田神社。右は別所の西の薬師谷にある薬師堂。

 薬師は薬師谷の岩室に、春日、大山祇は梅田神社に祀られている。天照はないなあと思っていたら水無月の森というところがあって、神明の森とも言われ神明社があっただろうと「別所地名事典」にある。この森の位置など未確認だが、これで四つ留の四神が揃うことになる。鉱山の存在をうかがわせる状況ではある。
つづく

【晴徨雨読】89日目(2006.10.28)福島アトマ~二本松どんぐりの畑
 福島市内をチラリと見学し、二本松に向かう。4号線の幹線道路沿いに走ったものだから道中は面白くも何ともないところだ。できるだけ枝道だか旧道だかを通るがそれはそれでルートファインディングが難しくて疲れる。二本松手前からサファリパークの方向に向かうが、この道は古い街道らしくて無数の石碑があり読んでいると楽しい。何でもかんでも記念になる事は石碑に残すようだ。
サファリとサーキットは動物の啼き声とエンジン音で興ざめである。塩沢温泉に行ったら夜になって真っ暗で宿に帰れなくなった。ハブダイナモは走っている間しか灯りが付かないのだ。道標など確かめようがない。Img_1494




石碑の内容はよく読むと面白いものがある。


【今日のじょん】:じょんは「おはよう」という挨拶ができる。「おあよ~」という感じだが文字では表せない。動画に録音してみようと思うのだが、いつも必ずというわけでないので難しい。確実に言うようになったらTVものである。今朝は最もはっきりしていた。P1030186   




影像は無いので先日の記事の土器をお見せしよう。

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別所探訪(26) 菟原中-25 10/27

2012-10-28 | 歴史・民俗

2012.10.27(土)晴れ
別所探訪(25)は2012.10.25

 半月振りに菟原を訪ねて疑問に思っていることを確かめてきたのだが、この間に立てた仮説が大きく覆された。もちろん現地を確認しないと言えないことだと断っているのだが、訂正すべきはすぐさま訂正すべきだろう。
 それは馬船(まぶね)地名についての考証である。
 まず馬船の位置であるが、友渕川の土師川合流点から二本目の橋あたりと言っていたのは間違いで、その橋から川沿いに300mほど先の左岸である。そこに顕著な谷があってその谷を馬船谷という。馬船というのはその谷から南、高杉側であって、菟原中の馬船は境目の極細い地域である。馬船という小字が菟原中と高杉に存在するわけがようやく分かった。別々に離れたところに在るわけではなく一つの大きな地域なのだ。しかもそれは友渕川左岸の谷と山を含む地域で、大部分が高杉に含まれている。P1030180
 



馬船谷、この谷から南(写真左手)の山を含む地域が馬船のようだ。
右手の山が別所にあたる。


 従って、菟原中の段丘から見おろす田園地帯は馬船ではないわけで、田んぼが馬船のように見えたからという説は成り立たない。改めて撤回したいと思う。
 それでは一体馬船とは何だろう。
 ここでまさかと思っていた鉱山起源説が浮上してくるのである。
 高杉の府道が右岸から左岸に渡る橋のところで、作業中の地元の西山さんに聞き取りをした。
 
 馬船というのはこの橋の辺りから下流の山を含む大きな地域であるということ。
 白蛇伝説のある権現様があること。
 馬船の田んぼ部分はその橋の辺りだけということ。
 氏が子供時分には少し下流に小さな橋が架かっていて、学校に通ったこと。

 そしてその後驚くべき事を聴くのである。
 「保井谷と言うところはご存じですか?」
 「ああ、この奥やで」
 「保井谷にはマンガン鉱山はありませんでしたか?」
 これは京丹波町の保井谷(ほいだに)にマンガン鉱山があったことを知っていたから、カマをかけたのであるが、、、。
 「ああ、あったで、今から4,50年前やと思うけど、2,3年で止めたらしいけど」
 「その跡は残ってますか?」
 「子供時分は遊びに行ったから残っとるやろで」
 
 保井谷は友淵にもあり、ホイ谷という記載になっている。保井谷の意味は何か解らない、しかし共通して鉱山があるとしたら、それは金属地名と言える。ただ金属が出るから保井谷なのではなくて、鉱山師が保井谷という地名をもとにして鉱脈を見つけたのだと考える。鳥垣の奥にアシ谷のごく小さなマンガン坑があったのも同様のことと思う。足谷という鉱山は全国に数多くあるからだ。それにしても地名というのは面白いものだといまさらながらに思うのである。P1030177 つづく




高杉の橋から友淵方面を望む。府道の坂の辺りに保井谷があるそうだ。
電柱の左に小さく見える白い建物辺りが大師堂か。


【作業日誌 10/27】
芝生広場草引き、刈り込み準備

【晴徨雨読】88日目(2006.10.27)福島アトマYH連泊
 宿泊にユースホステルはよく利用している。年配の方には独特のイメージがあるけれど、現在ではすっかり替わっている。食器洗いもミーティングもないし、飲酒もOKで食事も豪華となっている。特にいくつかのスーパーYHというのは設備も良く、楽しめる行事もありだ。アトマは結局4泊することになる。Img_1474


アトマは高台にあり、吾妻山の麓にある。登って行くと名湯高湯温泉がある。


【今日のじょん】:じょんには霧がよく似合うシリーズ、今朝は霧が深いので良い写真を撮ろうかなと思ったが、リードがよろしくないナ。P1030184 P1030185  

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