2012.10.10(水)快晴
別所から出てきた地蔵などが養鶏場で祀られていると聞いたので、いよいよ別所に行くこととする。「別所地名事典」に「墓地だったらしく、五輪塔などが出土し云々」と書かれている。寺院があったとしたら墓地があるのは当然だが、別所という地域のどれだけが養鶏場になっているのかと言う問題も沸いてくる。養鶏場の坂を登って行くと、どこの養鶏場もそうであるように消毒用のゲートがある。鳥インフルエンザの関係で設置されているのだろうが、白い粉がまき散らされているのは消石灰だろうか。
狂牛病の時もそうだが、やたら消石灰が撒かれているが一体何の効果があるのだろう。消石灰に殺菌効果があるとは思えないし、ましてやウィルスに対しどのような効果があるのか、当たり前にやられていることがなんとも怪しげなことがある。
話が変な方向に行ったが、ゲートの横から職員さんの駐車場に入る。
菟原中に通い始めて一ヶ月、やっと来れた別所なんだが一体ここで何を見つけようというのか。白い鶏舎や飼料のタンクを見ていてもイメージは沸いてこない。
その時駐車場の右端に道跡のような切り開きを見つける。義経谷から上がってきた旧街道というのはこれではないだろうか。菟原村史にある清水坂は別所に上がってくる坂だろう。歩いてみたい気はするのだけど、今日の目的ではない。カメラにおさめて帰ろうとすると、立入禁止の看板の向こうに人の声がする。
駐車場の端に道らしき空間がある。
「お地蔵とかが祀ってあると聞いたのですが、見られますか?」
「立入できないのだけど、まあ良いですよ」てなことで、傍らに祀ってある祠の所に連れて行ってもらう。坂を登ってくる際に、これだなっと目を付けていたところである。
「造成するときに出て来たもので、無縁仏と不動様としてお祀りしているのです」
端に円い石がある、それは五輪塔の頭の部分だろう。
事業者として自らの工場から発見されたものを丁寧に祀っておられ、その信心深さがうかがえる。年に一度円応教の方に来て貰ってお祀りされているという。
ただ、福林寺さんの言われるように、もとが墓地であったとしたらこんなものではないだろう。少なくとも五輪塔の頭はそれらしい遺物だが、あとの石は自然石のようだ。
養鶏場の中に祀られている。左端は五輪塔の一部のようだ。
別所が寺院跡、墓所跡であったとしたら、養鶏所の部分はその中心部ではないと予想される。なぜなら中心部ならもっと沢山の遺物が出るだろうし、出たとしたらこの養鶏場の経営者は総てを祀られると思うからである。
毘沙門堂や不寝の森について聞いてみるが、地元のものではないので解らないと言うことだった。ただ、「この下の谷の奥に毘沙門堂がありますよ」という情報を戴いた。
養鶏場の方に、多分場長さんでなかったかと思うのだが、丁寧にお礼を言って坂を下る。もう時間はかなり過ぎていて本来の目的の不寝の森探しに行かなければならないのだが、毘沙門堂と聞いては捨て置けない。福林寺と別所の間の谷、薬師谷という谷を登って行く。つづく
【作業日誌 10/10】
好天は今日一日という予報なので、じょんのび谷の伐採を続ける。左岸堰堤までの伐採を終える。木や竹は切ったが後始末が大変だ。
【晴徨雨読】71日目(2006.10.10)神威岬~積丹岬~余市~小樽
この日は晴天の特異日である。北海道でも半袖で走っている。前日は長袖にウィンドブレーカー着ているのだから、差が激しい。この日も北海道の海の豪快な景色を堪能している。
積丹ブルーと言うそうだ。
道中崩落事故で憶えのある豊浜トンネルを通った。事故のあったトンネルとは位置が変わっているが、地形はニュースで見たものと同じで、胸が痛む。トンネルが崩れるなんて考えもしないことが起こりうるのだ。自然のまえに人間の力など非力なものなんだ。
余市のニッカ工場でしこたまピュアモルトをいただく。
この画像は本文にも載せているのだが、何度もニュースで見た地形だ。
【今日のじょん】:偶然にユキとサチが一緒になった。この娘たちはどういうわけか反りが合わないらしい。じょんのびの庭の両端に繋がれていたが、そんなことはつゆ知らずじょんは出してくれいと騒いでいる。そんなとこ行ったらぼこぼこにやられるでといってもわからないようだ。
ワ~オ
「外出してくれい。」馬鹿か。