晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(23) 菟原中-22 10/23

2012-10-24 | 歴史・民俗

2012.10.23(火)雨

 馬船(まぶね)のこと
 旧京街道は別所~馬船口~宿という順で走っているという。おおよその順路は分かるが、詳しい道はもっと調査をしないと分からない。馬船口も地元で確認したわけではないがおそらく現在の友渕川に架かる橋の辺りだと考えている。従って馬船というのはその南の辺りなのだろう。字限図で見ているのだが、実はよく分からないのだ。地元での確認が必要であるが今のところわたしの理解している位置として話を進めたい。
 馬船という小字は菟原中にあり、高杉にも一箇所ある。また高杉には北上ノ山東馬船(きたうえのやまひがしまぶね)と西馬船という小字もある。実はこの二つの馬船を見れば馬船の意味が分かるのだろうけど、高杉馬船の位置が判らないまま馬船地名の考証をしておきたいと思う。従って将来訂正をするは目になるかもしれないが、先入観の無いところで考証をするのも意味があろうかと思う。
 馬船という地域が菟原中においても高杉においても重要というか中心的な位置にあるのではないかと思っている。それは菟原中においては馬船に対して馬船口という地名があること、高杉においては東馬船、西馬船という地名があることで解る。P1020961
 



馬船はこの中央の森の先の方である。2回目の訪問の際に京街道を探して馬船辺りの写真も撮ったのだが、バンド坂の京街道を発見したがために消去してしまったのである。

 金属地名論者、これはわたしが命名した言葉であるが、地名を何でも金属関連とする人で概ねアマチュアの研究者で、日本中を金属関連地域にしてしまっている。こういう人に言わせれば、馬船(まぶね)は間歩根となるだろう。つまり坑道の有るところの麓という意味だ。別所産鉄論者には魅力的な解釈であるが、別所に坑道が無ければ何の意味もない言葉となる。
 坑道以外に横穴という意味もある。別所が墓所である可能性は高いと思うが、横穴墓があるかどうかとなると可能性は低いだろう。
 馬船の元々の意味は、馬を運ぶための舟という意味である。もちろん大陸から海を渡った大がかりな馬船もあろうし、川の渡しの馬船もある。別所には武士団が居て、馬場もあったという伝説もある。馬の渡渉移動に馬船を使ったのかとも思ったが、土師川にしても友渕川にしても馬を舟に乗せるほどの川幅では無い。むしろこの程度の川を渡れない馬が戦闘には役立たないだろうと思うのである。つづく

【晴徨雨読】84日目(2006.10.23)仙台連泊
 終日の雨で、6年後の今日と一緒だ。長丁場の旅となると衣類や装備も替わってくるし、消耗するものも出てくる。例えばヘルメット、ザック、ウェストポーチ、シューズ、下着、ヤッケなど途中で取り替えた。仙台市のイシイで冬用の下着など購入する。あとはブログの更新などして一日を過ごす。こういうときはビジネスホテルがいい。仙台名物牛タンを食す。美味いまずいというより、関西で食べる牛タンとは異質のものである。そんなわけでこの日の写真は一枚も無い。

【今日のじょん】:鍋好きじょん
鍋の季節がやってきた。どういうわけかじょんは鍋好きなのである。もちろん鍋の具は好物が多いものだが、食べるのは野菜だの麺類だのとヘルシーなものが多いのだが、、、。残った鍋を昼食に温めると必ず出て来て待っている。普段の昼食では絶対に無いことだ。写真は夕食の鍋が炊けるのをあご乗せじょんをして待ってるところ。P1030106  

コメント
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