2012.10.24(水)快晴
続・馬船のこと
現地におもむいて、「馬船ってところはなんで馬船って言うのですか?」と聞いたら、「そりゃあ〇〇のことやがな」なんて簡単に解ってしまうかもしれない。辞書を引くと馬を乗せる舟なんてストレートに書いてある。
ところが地名に関する辞書、書物の類には載っていないのだ。これは絶対数が少ないのだろうか。確かに三和町内、近隣の地名を調べても見当たらない。全国ではどうかなと、ネットの地図で検索してみると、いくつか現れる。しかし多数とは言えないようだ。
”まぶね”は方言辞典に無いが、”まぶ”は沢山載っている。それらしいのは、崖、断崖の意味である。沖縄の平和祈念公園のあるところは摩文仁(まぶに)で崖のある辺りという意味である。
宮城県亘理郡山元町から角田市に越える馬船峠というのがある。ばせんともまぶねとも書いてあって定かで無いのだが、地形的に見て崖の嶺と解していいのではないだろうか。
これが菟原中の馬船に当てはまれば、最も妥当な答えとなるのだが、別所側の岸も反対側の段丘も崖というほどのものでもないようだ。
別所に鉱坑があるとは思えないし、友渕川岸が断崖になっている訳ではない。
実際に渡しなどで馬を乗せたという馬船を影像で見ていると、底が平で広く船の縁は低く見える。重心の高い馬を安定させるためにそのような形になるのだろうが、友渕川の蛇行のために土砂の堆積した部分の田はこの馬船のように見える。馬船地名の由来は実は馬船そのものだったのではないだろうか。
問題は地名が付いた時代にその地が耕されていたかどうかということである。それを確かめる術は無いのだが、河川の椀曲部には肥沃な土砂が堆積する。水利はいいわけだから当然真っ先に耕作地となるのではないだろうか。水害の危険は高い場所だから、現在ほど完璧で無くても堤防らしきものは築かれるだろう。住居するのは段丘の上だろうから、その地を見おろしたとき将に馬船のように映ったのではと想像するのである。
もしこの想像が当たっていたとすると、それを命名した人々はこの地に生まれ育ったものではないはずだ。馬船という物を知っている人々だろうから。つづく
【作業日誌 10/24】
薪集め、玉切り
【晴徨雨読】85日目(2006,10.24)仙台連泊
連日の雨で動けない。今日は博物館に行く、大都市の博物館は面白くない。洗練されすぎているのだ、地方の資料館などはまるでガラクタ屋みたいなところがあるが、郷土に根ざしておりその地を理解するにはもってこいである。仙台の博物館では何も印象に残っていない。花巻で見逃した映画を上映しているところがあり見に行く。「蟻と兵隊」という映画だが、雨の功名といったところか。
広瀬川も瀬音ゆかしくどうどうと???
二日間嵐は吹き荒れた。
【今日のじょん】:秋晴れの日の朝は霧が深く、じょん散歩の時間はちょうど霧が晴れようかという時間帯である。一番好きな光景なので毎朝カメラをポケットにしのばせているのだが、霧の晴れ方の時間帯も晴方も千差万別でなかなかシャッターチャンスが巡り来ない。じょんは景色には無関心なので、オニフスベのチェック、随分汚くなってきたそろそろ爆発か。