2013.1.6(日)曇、-2℃
なぜ鉄に関する本を読むかというと、上林に製鉄の可能性があるか否かを確かめたいからである。
大陸や半島では紀元前に製鉄が行われており、縄文期の鉄製品が日本でも発見されているという。日本の製鉄のはじまりは五世紀後半というそうだが、その間鉄製品だけが輸入されていたのだろうか。原料も燃料も環境も揃っているのに製鉄技術だけが入ってこなかったのだろうか。
わたしは稲作と同様に初歩的な技術が入ってきただろうと想像するのだが、技術といってもそれだけが入ってくるわけではないから、稲作も狩猟も鉄作りもする人物が海を渡ってきたのだろう。
そういう人たちにとって若狭湾岸は大変都合のよい土地柄であったのだろう、古代の遺跡の多さからもうかがえる。彼らが新たな原料や燃料を求めて川を遡り、琵琶湖や由良川流域に足跡を伸ばしたのだろう。上林谷も関屋川や佐分利川を遡り辿り着いたことだろう。となるとかなり早い時期に人が住んでいたことになる。
関屋川上流、丸山とのコル猪鼻峠を越えると上林である。
そこで製鉄が行われたとしても、それはかなり原始的で小規模なものであろうし、製品も極限られた鉄鏃や鉄斧程度のものだろう。そして細々と中世辺りまで鍛冶屋と共に武具や農具、建築用の鉄製品など作っていたのではないだろうか。
そして近世になって何鹿郡の鋳物師が定着することになる。井関氏が清水で鋳物師を開業するにあたっては、その前身となる何かがあったのだろうと考えている。
清水の鋳物師井関氏たたら跡
近世の鋳物師については文書も遺跡も残っており間違いのない事実なのだが、それ以前のこととなると何一つ物的証拠は無い。
地名や信仰、伝説などから間接的な証拠は探すことが出来るけれど、直接的な証拠が欲しい。
まず上林川の岩石調査からはじめて、いかに多くの磁鉄鉱を含む岩石のあることかと驚いた。またマンガン坑跡から磁性の強い岩石を採集している。これが鉄マンガンといわれる物か不明なのだが、古代の製鉄に使われたという説もあるそうだ。
これ等の岩石は現在展示中である。 つづく
【作業日誌 1/6】
看板描き
【今日のじょん】:ではじょんは一体何に反応しているのだろう。最近ようやくそれが解った。実はパソコンが古くなって、立ち上げると耳鳴りのような高周波の音が出るのである。これがじょんには強烈に聞こえるのではないだろうか。じょんの鳴き声よりも、パソコンが何時おシャカになるかが不安である。現役時代ならともかく、今パソコンの新調はかなりつらいものがある。