2013.1.17(木)雪
降雪は何回もあったが積雪は無い今冬、ありがたいことと思う反面物足りなさを感じている自分に気づいている。丹波は中途半端なのである、建物だって雪国なら雪国の造りがある、雪の季節の暮らし方だって雪国では決まっているのだ。丹波は昨年、一昨年のように雪に閉ざされて春を待つ年があれば、降雪はあっても積雪のない年もある。だから生活環境も暮らし方も中途半端なのである。
雪が無いなら無いで、あれもやろうこれもやろうと計画を立てる。しっかり降って雪に閉ざされるのなら、それなりに家の中でやれることを計画するのだ。それが降るや降らんや積もるや積もらんやでは、結局なんにも出来なくてイライラとするばかりなのである。
今日は朝から降雪が激しい、けれど湿気が多いのか積もるのは少ない。やりたかったDIYもあるのだけど、やる気が起きない。よし今日はストーブの前で雪景色を見ながら読書しよう。先日買った辺見じゅんさんの新・北越雪譜が恰好である。考えてみればこれほど至福の時間はない。現役で働いているときには考えられない時の過ごし方である。
ストーブの前で眠くなってくると、溜まった新聞の切り抜きをスクラップブックに整理する。一応読んでいるはずなのに、こんな記事があったのか、こんなことがあったのかと思い出しながら貼ってゆく。その中に沖縄の島守・島田叡(あきら)という記事があった。沖縄戦の年、内地から派遣された地方官僚は次々と逃げ出していた。
小禄飛行場近くの海軍司令部壕司令官室、自決の跡が生々しい。海軍はこの壕で壊滅、玉砕する。
そんな中トップ不在の県庁におもむき、県民のための施策を次々と実行した。職員の言に「県民にいたわりをもって接してくれた。この人となら一緒に死ねると思った」というのが紹介されている。もちろん沖縄がその先どうなるかも自らがどうなるかも知っておられたことと思う。
沖縄戦に関する手持ちの本、「これが沖縄戦だ」(琉球新報社)の中に島田知事のことが記されていないか探してみる。軍部のことや戦闘のことが主で民政のことはあまり書かれていないのだが、中曽根政善氏の序文の中に最後の軍団長会議のことが書かれていた。
「島田知事は、軍が武器弾薬もあり、装備の整った首里で玉砕せずして、摩文仁にさがり、住民を道づれにするとは「愚策である」と憤った。」
これはどういうことであるかというと、続く文でよく解る。
「牛島司令官は、第三十二軍の使命は、本土作戦を一日も有利にすることだと説いて会議はしめくくられたという。」
つまり大本営は沖縄を本土の捨て石と考え、一日でも長く戦うことを命令した。そして道連れどころか矢面に立たされた住民もいて、集団自決など悲惨な状況を生み出し、多くの犠牲者を出すのである。牛島中将も島田知事も南部で命を落とすことになる。
【今日のじょん】:
朝降り始めた雪が、午後にはこうなりまして、明日にはどうなるでしょう?