2013、1、8(火)曇
朝のテレビ番組で「隣の人間国宝」といって街のユニークな人を探して紹介する番組がある。今朝何気なく見ていると、気になる影像が映っている。神社の石段や礎石などにある丸い窪みである。
ここ一年ほどは神社を訪れると必ず注意して見ているのでいくつか写真も残っている。
No.1 2012.5.1、十倉名畑町河牟奈備神社の鳥居の礎石。
No.2 同上、作製途中か。
実はこれ盃状穴(はいじょうけつ)という学術的な名前が付いており、全国各地の盃状穴を見て歩き研究されている方が今朝の人間国宝となっていた。
それにしてもあの穴が盃状穴と呼ばれ、全国各地にいくらでも存在するとは驚いた。隣の人間国宝さんの言では、女性を表し五穀豊穣などを祈りながらコツコツとあけた穴で、一種の民間信仰ということだった。
No.3 2012.7.31、京丹波町猪鼻、熊野神社、元あった構造物が更改されて残っているもののようだ。
ネットで調べてみても、現在は消えているが過去の民間信仰という説が多い。ただ、朝鮮半島から弥生時代に伝わったとか、マチュピチュにもあるという影像とか、子供の遊びであるとか様々な説もあり、謎であることには違いない。
この盃状穴に興味があったのは「古代の製鉄」(山本博著 2012,4,21~雨読で紹介)を読んでその中の三碓(みつからす)が何のための穴かということに関心があったからだ。わたしは水銀を取り出すためのものではないかと書いたりもしたが、これも盃状穴の信仰によるものだったら随分白ける話である。
「たたら」(黒岩俊郎著)における三碓の山本説批判に出てくる添御県坐神社(そうのみあがたにますじんじゃ)宮司の指摘する境内石段の穴は将に盃状穴であろう。
No.4 2012.7.31 綾部市別所町熊野神社境内、やや不鮮明だが苔の中にもあるかも。
神社や寺院にある自然石の窪みが近世以前の民間信仰によるものといわれるとなーんだそうだったのかということになるのだが、どうも腑に落ちないものがある。
これだけ多くの場所で多くの窪み、いわゆる盃状穴が残っていたなら民俗学や歴史の表面に出て来ていても良さそうだと思うのだ。あの穴をあけるには相当の時間も必要だし、丑の刻参りのように人目を忍んでやる必要もないだろう。それならば文書や人々の記憶や口伝えに残っていても良さそうなものである。
盃状穴という学術的な命名もその穴、その穴をあける行為に名前が付いていないことを表している。
2012.9.14 福知山市菟原中、八幡社石段、コンクリートで補修してあり不鮮明のため再確認。
盃状穴に関する論文や書籍を調べてみたが極めて少ないようである。このことのみについて書かれた書籍は一冊しか見つからなかった。もう少し調べてみようと思うが、やはり謎であるというのが現在の状況である。
【作業日誌 1/8】
看板塗装
ウッドデッキ治具作製
【今日のじょん】:じょんじょんおもしろ写真集候補
ラッセルラッセルじょんじょんじょん(2009.1.11)
初めての冬、結構な積雪で、、、。