2013.1.14(月・祝)雨
パオパオさんに走って欲しい道、それは由良川左岸の山陰線沿いの道である。次に来るときは、山家~綾部間を走ると聞いていたのでその時は愛想のない国道27号線ではなくて、線路沿いの道を走って頂ければ、国労の支援にもなるかと思うのである。
山家駅から線路沿いに綾部方面を行くと、陸橋があって線路を渡り、府道450号線に出る。陸橋を渡らずに真っ直ぐ進んでも踏切を渡り、やがて府道に出る。こちらの道がおすすめ。
あとは府道をずんずん行けば自動的に綾部の街に入るのでわかりやすい。道中お地蔵さんや古い道標もあり風情のあること間違いなし、うるさい車が走らないこともお気に入りである。道中線路をまたぐことも数回あり、列車を見ることもあるでしょうから国労支援ならぴったしのコースかと思う。
山家からの道は左の道を来る。右は綾部街道、大原へ向かう道。鉄道は右上に走っている。
実はかつてこの道が阪鶴道路であり、鉄路が阪鶴鉄道であるかと思っていた。過去の記事中に何度かそのように書いているところがあり、ここで改めて訂正致したいと思う。
明治の時代、舞鶴が軍港となり京阪神から舞鶴にいたる鉄道の必要性が高まり、大阪から福知山を経由し舞鶴にいたる鉄路を申請したのが阪鶴鉄道のはじまりだそうだ。いわゆる福知山線、山陰線、舞鶴線というコースである。
では京都から舞鶴にいたる鉄道はというと、京都、園部間さらに綾部、舞鶴、宮津などという計画が京都鉄道によってなされたが中途で頓挫し、結局国の手によって京都ー綾部間が開通することになる。これが山陰線の京都、綾部間である。従ってこの部分を阪鶴鉄道というのは間違いである。
ところが道路の方となると、山陰線に沿って走る国道27号線を阪鶴道路と言うそうだ。綾部市史にはこういう書き方がしてあるだけなので、一応阪鶴道路というのは現在の国道27号線と見れば良いのだろう。
そうすると由良川左岸の道は阪鶴道路ではなく、以前の文章にこのみちを阪鶴街道、鉄路を阪鶴鉄道と書いているのは間違いである。(2012.7.13など)
明治28年陸地測量部の地図を見ると、綾部から山家までは右岸の道、現在の国道27号線が立派な道であり、山家からは左岸が主街道となっている。この街道はやがて広野から草尾峠を越え桧山に至る。
山家で由良川を渡る部分には橋は無く、渡船の記号が描かれている。山家大橋が架橋されるのは明治45年になってのことである。