2013.1.26(土)曇、雪
古民家を購入された際にその石は玄関前に敷かれていたそうだ。長辺30cmあまりで、実に10cmもの穴が穿たれている。
まだ盃状穴を多く見ていないので、これが盃状穴であるか否か判断がつかないのだが、もとの所有者が玄関前の重要な位置に穴を正面に向けて設置していること、門の部分が直角にカットされており元々何かの構造物である可能性が強い、穴の部分は底部が平でなく、盃状となっていることなどから盃状穴ではないかと思う。
元は何の石材なんだろう。
こういったサイズの石の穴は水車などの軸受けがあるそうだ。実際に水車の軸受けを見たことはないのだが、軸受けであれば回転による摩耗研磨がなされていると考える。この穴は穴の面が粗でややいびつな形となっている。一般の盃状穴のように滑らかで均等な穴とはなっていないが、それだけに軸受け、あるいはその他の用途も考えにくいという判断である。いづれ多くの盃状穴を見る機会が増えれば、この穴がなんなのか解るときが来ると思う。今は盃状穴として考えてみたい。写真で見るばかりなのだが、手洗鉢の周囲に穿たれた盃状穴がこのような形と大きさである場合があるようだ。
おまけに拝見した金屏風、幽玄の世界である。
神社の施設以外でこれだけ大きな盃状穴にお目にかかったのは実は意外である。しかし本当の発見というのは意外なところに意外なものがあることだろう。
7年前自転車日本一周でいろんな石造物を見てきた。石塔、石碑、ドルメン、墓石、石垣、石棺、地蔵さま、仏像等々、その時盃状穴について知っていたなら、旅行自体も大きく変わっていただろう。しかし知らなかったからこそ無意識に向けたカメラに盃状穴が写っていたら、これはこれで大発見である。数千枚の写真を逐一見直していると、あるもんだ。怪しげなものはいくらでもあるが、確定できない。ズームで倍率を上げているのでぼやけてしまうのだ。まだ総てを見終わっていないのだが、それらしい写真は浜名湖の新居関所(静岡県湖西市)の荷物石上に穿たれたものである。
一番左の石を拡大して見て頂きたい。(新居関、2006.12.2)
盃状穴でなくても、石の文化というべき石造物の如何に多いことか。石、岩というのは硬くて不変である、だからこそそこに霊的なもの、崇拝すべき意識を古代人は持ったのではないだろうか。磐座なんてのはその最たるものだろう、何でも無い岩壁や岩塊であっても我々は荘厳なものを感じる。これは人類共通の感覚なのだと思う。
熊野市の花窟(はなのいわや)神社はこの巨岩が御神体である。麓に「ほと穴」があり、「陰石」とされている。新宮市神倉神社のゴトビキ岩が「陽石」とされ、対をなしていると言われている。
そしてどこにでもあるのが性シンボルである。生産の豊穣を祈るというのが一般に言われているが、人類の生存に関わる生殖の根源的な意味を意識しているのかも知れない。
盃状穴を始め石に刻まれた穴というのが、性シンボルを表し、古の人々の願いや想いを表していると考えるのは妥当だと思う。上林の盃状穴と併せて順次紹介したい。
南九州でよく見かける田之神様(タノカンサー)も後ろから見るとこうなるわけ。五穀豊穣を祈っているのは言うまでもない。
【作業日誌 1/26】
ウッドデッキ床張り、東面完了。
【今日のじょん】:じょんじょんおもしろ写真集候補、枕で寝るのダ。(2009.10.11)