2013.1.22(火) 雨
盃状穴(はいじょうけつ)については既に案内済み(2013.1.8参照)であるが、その成因は何かというとやはり謎である。全国各地にあるにもかかわらず注目されることなく、神田山古墳(山口市)の石棺の蓋石に発見されてようやく知られるようになったようだ。そんなだから関連の資料は少なく、考古学や民俗学の報告書や論文にあるばかりで、まとまった書物になっているのは、「盃状穴考 その呪術的造形の追跡」しか見られない。従って古書で探してもやたら高価で手に入れられない。図書館で探しても府立資料館に1冊あるのみで、館内閲覧になっており借りることが出来ない。
「盃状穴考 その呪術的造形の追跡」 国領駿・小早川成博編 国分直一監修 慶文社1990.5.30第一刷 綾部市図書館で閲覧
図書館に赴く前にインターネットに公開されている盃状穴に関する情報を覗いてみる。影像も多くてわかりやすいが、考察として論文にまとまっているのは一編だけであった。成因については呪詛的なものが圧倒的で、中には子供の悪戯が原因などというものもあり、どう見ても自然現象と思われるものもある。
盃状穴に関する疑問はなんといっても何のために掘ったのかということである。そして各地に沢山の盃状穴が存在しているにもかかわらず、文書や伝承、言い伝えで残っていないことである。例えば盃状穴という言葉も昭和55年の神田山古墳の石棺上に発見された際に国分直一氏によって名付けられたものだそうだ。つまりこの穴を掘ってきた人たちがどう呼んでいたかも解らないのだ。
館内閲覧のため半分程度しか読めなかったのだが、ある一定の考え方が理解できたように思う。
本書はこの分野の研究者があらゆる方面から述べられていることをまとめたもので、中には理解が困難な文書もあったが、三浦孝一氏の「盃状穴考 播磨からの展望」という論文が理解しやすいものであった。つづく
帰りに村上さん宅の玄関前にある盃状穴石を見せてもらった。直径10cmにおよぶ立派なものである。
【今日のじょん】:久々のおもしろじょん候補写真。うらめしじょん(’09.8.9)