2014.10.1(水)曇り
山田清吉さんへの手紙(3)
山田さんへの手紙の中に、わたしの想像した藁葬の図を同封した。詩「藁葬」
から想像した藁棺と火の壺の図である。山田さんは直接に見たわけではないと
言われているが、現実に何度も藁葬を手がけておられる方に聞かれた事なので
実に的確に表現されていた。
藁棺は荒縄の数以外は想像通り、穴の上から見た図は遺跡のとおり、
火の壺は炉が無かった可能性が強く、あっても浅いものだろう。
藁葬の実際を写真や文から知ったのは手紙を出した後のことである。
「葬送墓制研究集成(1)」で藁棺の写真や常設火葬場の煉瓦造りの炉を
見ることが出来、文章によっても知ることが出来た。
この写真等は日付年代が不明なのだが、藁棺の図では四本柱はあるが、
浅く掘られた穴というのは無いようである。煉瓦造りの炉状のものはある程度
発達したものだと思われる。ただこの炉状のものを何と呼んだかは書かれていない。
「葬送習俗語彙」(柳田國男著)の中に、ホド、カマバという語彙が出てくるが、
ホド、カマなどは呼ばれていた可能性がある。山田さんの詩にある火の壺という風に
言われていたかは不明である。
「中世の葬送・墓制」(水藤 真著)の中の中世古文書に火葬場のことあるいは火葬場の
一設備のことを「穴」と呼んでいることがわかった。火葬場の使用料は「穴賃」と
呼ばれている。ところが「葬送習俗語彙」には穴という言葉は表れず、どうやら
一般的には消えてしまった語彙のようである。穴虫という地名にその残存があると
信じ研究を続けているのだが、実際の火葬、藁葬を手がけられた方に、穴という言葉が
残っていないか聞いてみたい。
「墓と葬送の中世」(狭川 真一編)は考古学的な面から中世の墓制、葬制を述べられて
いるが、その中に発掘された火葬跡の分類が載っている。長方形、方形、円形とあり、
深さは25cm前後で浅いものである。張り出し部のついたものがあり、円形のこれが
山田さんの手紙に添えた想像の図と一致していることに驚いた。しかも著者と同様に
張り出し部は通風口としての機能があったのではと想像しているのである。
問題は炉状のものがあったかどうか、その深さ高さはどうだったか、素材は何であったか
張り出し部があったとしたらその方向と風向の関係を聞いてみたい。
以上報告と質問を次の手紙で書くつもりであり、11月の春江町の友人との再会に
可能であれば同行したい旨書き添えるつもりだ。
【作業日誌 10/1】剪定木屑焼却
【今日のじょん】朝方にやたらと吠えていた。アニマルキャッチャーにかかったかなと思いきや
扉は開いたままだ。新しいソーセージに変えたのに、、、。
ところが谷の一部がえらく荒れている。イノシシの仕業のようだ。