2014.10.28(火) 「お骨のゆくえ」を読む
「お骨のゆくえ」(横田睦著)平凡社 2000年7月初版 府立図書館借本
サブタイトルが「火葬大国ニッポンの技術」というもので、著者は建築専門科の
学者である。墓地の設計をする著者が、火葬場や墓地のあり方について書かれた本
といってよいだろう。基本的に火葬装置の技術的なことや都市計画としての墓地の
あり方など技術的に論じられているのだが、火葬と墓地の歴史的変遷や諸外国との
文化的な相違など、人文的な記述もあって興味深い。
例えば日本では圧倒的に火葬の率が高いわけだけれど(平成9年、火葬率は98.8
%、底火葬率の高知県で91.3%)、世界的には特異な国となっている。特にキリス
ト教文化圏では土葬が精神的にも支持されているようだ。
仏教とともに火葬が入ってきたと言われているが、仏教徒といえども火葬が広まった
とはいえず、今日の火葬率の高さが「日本は仏教国だから」という理由にはならないと
している。
火葬率が高く、火葬技術も向上したのはやはり都市化が大きな原因だろうとしている。
わたしはそれプラス国民の葬法に対する寛容性があるものと考える。
また、かつての火葬について、大量の薪とくべ続ける人手を考えると、誰もがおいそ
れと出来るものではなく、きわめて贅沢な葬法であった、という旨書いておられる。
常々考えてきたことなのだが、文で見たのは初見である。だからこそ貧しい農民が
火葬を続けてきた真宗の葬法に考えさせられる。教義と言うだけでは割り切れないものが
ある。藁葬は火葬の経済性に工夫を重ねた結果なのではないだろうか。
火葬場、墓地、霊柩車や棺、石塔など葬送に関するあらゆる物の技術的なことが書か
れていて、知らないことばかりであっという間に読んでしまうが、さいごにというとこ
ろで、先に書いていた、「葬儀の商業化や意義の見失われていること」について述べて
おられる。
「葬儀の商業化や形骸化は、都市に住む私たち自身が、かつての共同体が内包させて
いた煩わしい何事かから解き放たれることを求めた代償であり、帰結せざるを得なかっ
た結果なのではないでしょうか。」
【今日のじょん】
水害以来の福知山に行く。最も被害の大きかった地域のイルマンさんに行くのだが
表面的には被災のあとも分からない。でも話を聞くと悲惨な状況で、言葉も無い。
光秀は相変わらず看板犬を勤めており、人犬ともども頑張っておられる様子だ。
つづいてタムラさんにゆく。こちらも被害はあったのだが、イルマンさんほどでは
無かったとのこと。マック隊長もマウイちゃんも相変わらずだが、なんとなく年齢を
感じるようになってきた。じょんも含めて我々も美しく老いることを考えなくては、、
光秀は仕事上手
この辺も水害はあったのだ。マックじいさんになってきたぞ。